原爆肯定意見展示を構想、
リーパー理事長にとって‘原爆資料館’とは?

「日本の植民地支配から解放した」という中韓の声が広島に…

木村日向子(自由主義史観研究会WEB担当)
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今年の5月31日、中国新聞朝刊に次のような記事が掲載されました。
「資料館展示見直しに中韓の声」
原爆資料館(広島市中区)を運営する広島平和文化センターのスティーブン・リーパー理事長は30日、館の展示内容を見直す検討委員会に、中国、韓国人らアジア出身の委員を起用する方針を明らかにした。リーパー理事長は中国新聞のインタビューに、「原爆投下を『日本の植民地支配から解放した』と肯定する考えが根強いアジアの声に触れながら議論を深め、多民族が共感、納得できる施設にしたい」と述べた。
(中国新聞サイト内のオリジナルはこちら) |
この報道に対しては、右左の思想別を問わず、多くの方々が広島平和資料館(原爆資料館)宛てに抗議文を送られたことと思います。私もその一人です。そして後日、「(リーパー)理事長の基本的な考え方」と題された文章が掲載されている、資料館サイト内ページのURLアドレスを記したメールが、館側からの‘お返事’として送られて来ました。個々に返信内容を用意できなかった点と、わざわざホームページ内にそれ専用の枠を設けて全てのアクセス者に公開している点が、リーパー理事長の発言をいかに多くの人々が問題視しているかを、如実に語っていると言えるでしょう。
そのリーパー理事長の‘基本的な考え方’の主旨とは、「核兵器については様々な意見を持つ人がいますが、どのような考えの人にも、原爆の非人道性を理解してもらう必要がある」、ということ。そして、それを実現するために、「アジアの人たちの意見を聞く」、という具体的な方法を検討しているだけです…とでも要約できるでしょう。尚、原爆投下肯定意見を展示すると言っても、飽くまでもそうした意見も一部にあると紹介するだけで、いかなる理由があっても原爆投下が正当化されるべきでないというお立場を、崩されることは絶対にないそうです。
さて、リーパー理事長は返答文の中で幾度も‘アジアの人たち’という、かなり曖昧な表現を使用しています。これが、正確には‘中国と韓国の人たち’であるべきことは、誰が見ても明らかでしょう(他のアジア諸国の日本に対する評価が、どれほど中韓と異なっているかにつきましては、こちらを御覧ください)。それなのに、さもアジア全体が日本への原爆投下を礼賛しているかのような錯覚を与えがちな、意識的であれば卑怯で、無意識であれば無知も甚だしい記述の仕方には、リーパー理事長の公人としての常識不足を感じずにはいられません。
そもそも、我が国始まって以来の、恐らくは最も痛ましい悲劇である原爆投下を、風化させないための施設の理事長を務めていらっしゃるのが、今回の騒動でアメリカの方であると知って、驚かれた方も多いかと思います。では、リーパー理事長とはどのような人物なのでしょう?
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「ひと:スティーブン・リーパーさん=広島平和文化センター初の外国人理事長/世界覆う戦争文化から、平和文化への転換を」
原爆を投下した米国の国籍を持つだけに、広島市の秋葉忠利市長から就任の打診を受けた際、とまどいもあった。しかし、「僕の中に逆に偏見があったかも。ヒロシマが復讐(ふくしゅう)でなく、和解を重視する証拠です」と滑らかな日本語で話す。
父の仕事の関係で、子どものころは東京で育った。帰国後、大学時代はフロリダ州で過ごした。当時はベトナム戦争真っ最中。戦場に送られないため、国に認められれば徴兵を回避できる「平和主義者宣言」をした。認められたが、「本当の平和主義者としての宣言ではなかった」と振り返る。「すべての戦争が悪とは考えず、戦場への怖さもあった」と告白する。
日本語を学ぶため84年に来日。友人を頼って広島市に来て、翻訳・通訳会社を設立した。原爆投下については「戦争を早く終結させてよかった」と思っていたが、核問題の本の翻訳や被爆者の証言の通訳などを通じて被爆の実態を知り、考えが変わっていった。
98年に反核市民団体「グローバル・ピースメーカーズ・アソシエーション」を結成。00年には、核実験をしたインドとパキスタンを訪問。大学などで被爆の実態を説明し、核廃絶を訴えた。これからは母国でも活動を始める。「大統領選前に全米各地で原爆展を開きたい」と意欲を見せる。
「世界で初めて原爆が投下された日本だからこそ、核兵器廃絶を訴える力がある。日本からうねりを作りたい」。希望に満ちた緑色の瞳が輝いた。
■人物略歴:米イリノイ州出身。平和市長会議事務局員などの実績が評価され、4月23日、原爆資料館を運営する広島平和文化センター理事長就任。59歳。
(毎日新聞 2007年5月16日東京朝刊より)
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この記事を読みました限りでは、日本滞在経験も豊富で語学能力も高く、何よりも反核運動の専門家とのことなので、理事長には適任との見方もあるでしょう。今回の新聞報道関連で、資料館同様に非難を浴びせられている秋葉市長の人選も、全く理解できないというわけではありません。
けれども、リーパー理事長が就任してからさほど経っていない段階で、日本人の感情を害するような展示企画を構想し、その後の騒ぎを予想もしていなかったかのように、平然とその事実を説明の足りない言葉で地元新聞に語ったことも事実です。国内だけでなく、世界に向けて平和をアピールする資料館づくりを想定されて、原爆を投下した当のアメリカ国籍の理事長を迎えんとされたのでしょう秋葉市長の大胆な試みも、スタート間も無くして世間の不評を買ってしまったことは否めないはずです。
私の個人的な意見としましては、別段、アメリカの方が資料館の理事長をなさっても宜しいかと思っています。それはそれで、中韓のようにいつまでも歴史に関して他国への謝罪を要求したり、ひたすら復讐心を燃やすばかりな民族とは相反して、日本人のほとんどが心底平和を愛しみ、国際社会に於いては友好以外の関係を望んでいない姿が、顕著に見て取れる一例として、効果的に世界に印象づくかと思われるからです。
しかしながら、同時に私は、リーパー理事長がその職務に相応しい方だとは思えません。それは‘基本的な考え方’を拝読しまして、彼の中に資料館理事長としてではなく、反核団体のリーダーとしての姿勢しか見出せないからです。
さて、‘基本的な考え方’を締めくくるにあたって、リーパー理事長は次のように述べています。
当センターが事務局を務める平和市長会議は、2020年までに核兵器廃絶を目指す「2020ビジョン」に取り組んでいます。核保有国を含む全ての国が、核兵器廃絶に向けて誠実に努力すべきであることを粘り強く訴え続けていかなければならないと決意を新たにしています。
(広島平和資料館サイト内の全文掲載ページはこちら) |
誠に立派な志ですが、果たして核兵器廃絶運動こそが、日本人が資料館に担って欲しいと願う最重要な役割なのでしょうか。原爆の残酷さを資料で端的に提示して、1945年8月6日に広島で何が起こったかを、人々が永遠に忘れないために創られたはずの資料館…平和資料館という正式名称が内包している‘目的’よりも、日本人にとっては飽くまでも、‘原爆資料館’としての存在意義の方が大きいのではないでしょうか。
原爆死没者の墓標は、慰霊碑や原爆ドームばかりではありません。平和記念公園が巨大霊園に相当するように、資料館もまた、犠牲者の苦しみを想い出しながら涙すべき追悼の場なのです。核兵器廃絶運動がいかに大切と申しましても、それらが犠牲者への祈りに先んじて行われるべき場所ではないのです。原爆を来訪者の脳裏に焼きつけることや、海外に原爆の真実を広めることに伴って、資料館が反核運動にも力を注ぐのであれば構いません。ただし、反核運動のための資料館になってしまっては、原爆で亡くなられた方々や現在も後遺症と闘っておられる方々を、結果的には単なる手段へと貶めてしまうことになるのです。
古い話になりますが、私は中学の修学旅行で広島を訪れ、資料館に初めて行きました。私の中学は女子校でしたので、館内を見学中は周囲からすすり泣きが絶えなかったことを記憶しています。ほんの少し見ただけで震え上がってしまい、以降は目を閉じて友達に手を引いてもらっている生徒もいました。そんな中、近くにいた二人連れの西洋人観光客に気づいた友人が、「あれ、アメリカ人?関係ないって分かってるけど、こういう所で‘ガイジン’見ちゃうと、やっぱり何かムカつく…」、と囁いていたことが忘れられません。今にして思えば、彼らは広島と資料館へ足を運んでくださった、数少ない奇特な外国人であったと素直に認められます。ですが、20年以上前の資料館内で、私自身を含む少女達の心中に、お門違いな怒りが込み上げてしまったのが現実です。
こうした体験からも、例えそうすることで世界中に核廃絶の必要性が啓蒙できるとしましても、「原爆投下を『日本の植民地支配から解放した』と肯定する」ような中韓の見解が、資料館内に敢えて展示されるようなことは、決してあってはならないと信じています。これを許してしまえば、そうした見方をしている中韓に対しては当然のこと、終戦から今日まで我々日本人が懸命に抑制してきた戦勝国への憎しみに、再び火がついてしまうことになり兼ねないからです。リーパー理事長が真に平和を尊ぶ気持ちを抱きながら核兵器を世界から一掃したいと思っていらっしゃるのでしたら、戦争の元凶となる他民族へのマイナス感情を生み出すよう展示などは、持っての外だとお考えを改めていただきたい。それが不可能ならば、‘平和’資料館の理事長失格として辞職を要求する他ありません。
2001年9月11日にアメリカで同時多発テロが発生しました際、日本中も緊急中継でその有り様に激しいショックを受けたことと思います。しかしながら、現地に御家族や親しくされている人がおられた方々は別として、涙を流したという日本人は少数派だったのではないでしょうか。私達は圧倒されて驚愕しはしても、他人事だという感覚は拭い切れずに、テレビを消した後はそれぞれの日常にあっさりと戻って行きました。それなのに、箸が転がっても笑いを堪えられないような女子中学生でさえ、資料館を一周し終えれば沈痛な面持ちで黙りこくってしまうもの。何故なら日本人は、資料館の展示写真に映っている被爆された方々の痛ましいお姿に、自身の親兄弟や子供達、友人知人を重ねて見ずにはいられないからです。
けれども、外国の方が資料館を御覧になっても、私達が世界貿易センターの襲撃を目にした時と同程度の衝撃を受けるのが精々でしょう。それはむしろ、他民族としては当り前なことかもしれません。不特定多数が対象の場合、自分と何ら変らない同胞だと認識することでしか、人間はなかなか感情を揺さ振られることはないのです。‘酷い’‘惨い’と口では言いましても、残念ながら胸を締めつけられるような気持ちまでは、先ず湧いてくることはないのです。
中学当時の友人は、資料館にいた外国人観光客が自分達のように泣いていれば、理不尽に腹を立てたりはしなかったと思います。リーパー理事長の発言に日本中が憤らずにいられない根底には、彼が我々のように‘心’で原爆投下という事象を受けとめることなく、御自身が行ってこられた核廃絶運動のモチーフの一つとしてしか、資料館を扱おうとしていないのではないかという不信感があるでしょう。いくら平和のためという大義名分があっても、見ず知らずの外国の方に資料館を好き勝手に‘利用’されては、堪ったものではありません。
様々な考えの人々に核兵器の廃絶について考えてもらうために、一部では‘肯定論’があることを明記する…画期的なアイデアですし、もしかしたら功を奏するかもしれません。けれども、これはリーパー理事長が所属されている反核団体の催し等でお試しになられれば宜しい企画であって、大勢の方が焼き尽くされた土の上に建つ資料館で行うには、不適切な内容と断言して然るべきです。
資料館の理事長が外国籍であっても良いと前述しましたものの、42年前の広島のために涙を流せないような人物では、私とて認めることなどできません。(当然、日本人理事長でも同様ですけれど。)リーパー理事長がこのまま現職を続けられるおつもりがおありなら、そのような方ではないことを、行動をもって証明なさる必要があるでしょう。日本人が資料館理事長に求めている理想像は、世界のために声高に反核を叫ばれる活動家である以前に、広島のために黙祷し続けてくださる墓守のような存在だと思いますから。
○参考リンク
・「広島平和記念資料館
WEB SITE」:理事長の基本的な考えはTopicsから。
・「PDF資料・広島平和文化センターの新理事長の就任について」:リーパー理事長の詳細な経歴と、核廃絶活動家としての実績が紹介されています。
・「痛いニュース」
2007/05/31:リーパー理事長の中韓原爆肯定説展示構想に対する、巨大掲示板サイト「2ちゃんねる」での反応が要約して紹介されています。
・「中国新聞(英字版)」“India,
Pakistan and Hiroshima”:グローバル・ピースメーカーズ・アソシエーションが2000年にインドとパキスタンを訪れ、原爆に関するプレゼンテーションを実験的に行い、核兵器廃絶を主張し、‘how
the people of Hiroshima can help to defuse enmity and strengthen
local peace movements (敵対意識緩和と地域の平和活動の強化するために広島市民がどう手助けできるか)’について平和団体と話し合われた際の、リーパー理事長自らのエッセイ記事。‘Peope
of Hiroshima’(県内の平和団体 or 被爆者か?)の協力を得ながら、活発な反核プロモーションを展開されていらしたことが読んで取れます。悪いことではありませんが、同じ感覚で平和記念資料館を扱わないよう御注意願いたい。
○抗議先
・広島平和記念資料館
〒730-0811 広島県広島市中区中島町1-2
電話 082-242-7798 /メール hpcf@pcf.city.hiroshima.jp
・秋葉忠利市長 (広島市役所)
〒730-8586 広島県広島市中区国泰寺町1-6-34
電話 082-245-2111/ ファックス 082-246-4734
メール koho@city.hiroshima.jp
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