米紙ニューヨーク・タイムズが沖縄集会を報道

2007年10月7日米 New York Times 紙掲載


翻訳:比留間文彦
(英国国立ウェールズ大学大学院環境プログラム教授)

★アメリカの新聞ニューヨーク・タイムズは、10月7日付けで沖縄の集団自決教科書検定に反対する県民集会の記事を掲載した。執筆した記者は日系カナダ人の大西哲光氏で、【日本・宜野湾発 9月30日】となっている。この問題のアメリカの扱い方を示す資料として訳出した。(比留間)

◆沖縄県民、日本政府の第2次世界大戦についての教科書修正案に抗議

すでに78歳、健康的にも問題のある金城シゲアキさんは、62年前の第2次世界大戦の終わり頃、自分の母親や弟、妹を撲殺したあの日のことについてもはや何も語ろうとは思わない。  

日本の帝国軍人達に、アメリカ軍はすべの女性たちをレイプし、男性を戦車で轢き殺すつもりだと信じこまされ、金城さんと、沖縄のその村の人たちは、自決する以外に選択肢はないと考えた。1945年3月、アメリカ軍が上陸し、沖縄戦を開始する1週間前、村に駐留した日本軍兵士たちが、村の男たちに1人2つずつの手榴弾を手渡し、1つはアメリカ軍に投げつけ、もう1つで他の者達と一緒に自殺するよう指示した。

ほとんどの手榴弾は爆発しなかった。村長は、木の枝を折り取り、その枝で自分の妻や子供たちを撲殺した。金城さんと兄がそれに続いた。

「兄と私は私達を産んでくれた母親を死ぬまで殴ったのです。私はもちろん泣き叫んでいました。私たちは弟と妹も死ぬまで殴りました」司祭を務める那覇中央教会でのインタビューで金城さんはこのように述べた。

金城さんが再び話し始めることに同意したのは、日本政府が今、新しい高校の教科書の中で、沖縄の人たちが帝国軍によって集団自決を強いられたことを否定しているからである。

提案されている学校教科書の修正は、何百ページの中で合計するとほんの少しの言葉である、主題の削除、受動態への変更である。しかし一見したところほんの小さな文法的な修正が、日本の沖縄諸島で怒りが増大していくことをもたらし、少なくとも35年間で1番大きな抗議に高まり、日本政府を驚かせている。

四半世紀の間、日本の高校の教科書は、沖縄の人たちが帝国軍の兵隊によって集団自決を強いられたという歴史的事実を載せていた。

しかし6ヶ月前、文部科学省は、来年の政府承認の教科書は日本兵について言及されている部分をすべて削除すると述べた。修正された一節によると、沖縄の人たちは、単に集団自決を行なった、またはそのように強制されたと感じているとなっている。しかし誰によって?

「日本兵がそこにいなかったら、集団自決は決して起こらなかったはずである。」と金城さんは語っている。「日本兵たちが自決しないのを見て自分も自決しないことを決心した」とも述べている。

文部科学省は、「日本軍が集団自決を強いたか、命令したかは明らかではない」と述べた。しかし政治においてこのような変更を説明できる明らかな証拠はない。明らかなことは、発表のタイミングが、日本政府が公立の学校で「愛国心」を強調する新しい法律を通過させた2、3ヶ月後だったということだ。

事実少なくとも過去10年の間、安倍晋三前首相のような国家主義の政治家や学者は、日本軍によって行なわれた犯罪についての教科書の部分を改めようと奮闘していた。戦時中の性的奴隷や虐殺についての一節を削除することが、最近アジアの人々を怒らせたとすると、今回のことは政府が過去の過失を隠そうとしていることが日本でこの種の怒りを引き起こした最初の例である。

この騒動は、福田康夫首相の新しい政府にとって深刻な問題と成っている。というのも首相は、合衆国の軍事基地の再配置を実行するための沖縄県民の同意を必要としているからである。穏健派の福田氏は、11月には出版、来年4月の新学期には学校に導入されることになっている新しい教科書について、妥協しようと努めている。

しかし福田氏は難しい立場にいる。突然修正を見直すことは、与党内の強力な右派の怒りを買うことになるからだ。つまり学校の教科書は政治的な干渉を受けないという、長年の政府の主張に矛盾するのである。

第2次世界大戦中、日本の国土において、市民を含む地上戦に唯一苦しんだ沖縄は、19世紀終わりに日本が公式に併合するまでは、独自の文化と言語を持つ独立王国だった。戦時中日本軍の兵士は、沖縄の人たちを信用しておらず、アメリカ人のスパイとして行動するのではないかと恐れていた。 アメリカ軍の上陸後、日本兵は防空壕から沖縄の人たちを追い出し、人間の盾として使った。日本兵に占拠された村々では、何千人もの人々が集団自決を行なったと言われている。日本兵のいなかった場所では集団自決は起きていない。

琉球大学の社会学教授高島ノブヨシ氏は、今も沖縄に対しての差別があると語っている。戦時中日本列島自体がアメリカ軍に侵略されることを防ぐため沖縄が犠牲となったために、沖縄は今でも日本に駐留するアメリカ軍の本拠地となっている。

教科書に対する政府の最初の反応が、沖縄の怒りを大きくしたと、高島氏は語った。修正に抗議するため東京を訪れた沖縄の政治家は、文部科学大臣や副大臣とさえもアポイントを取れなかったことを、沖縄のテレビ局が伝えた。しかしそのかわり文部科学省の中堅官僚に会うことはできた。訪問者の1人は、沖縄県議会議長の仲里利信氏である。修正に怒りを感じた仲里氏は、62年の沈黙を破り、自らの戦争体験を語った。

彼の家族が非難していた防空壕の中で、日本兵は家族に2つの毒入りおにぎりを手渡し、仲里氏の妹といとこに与えるよう命じた。しかし彼の家族は山の中に逃げ込み、弟はそこで亡くなった。

インタビューの中で仲里氏は次のように語った。「私はもう70歳です。これらの80以上ある思い出はすでに色あせてきています。ですから恐らくこれが私達にとって抗議する最後の機会だと思います」

沖縄議会とその他の地方議会は、教科書修正がくつがえることを要求する決議案を通した。役人たちは抗議の計画を練った。最も大規模な集団自決が行なわれた小島のいくつかでは、80代の人たちが初めて率直な意見を述べた。教師たちは集団自決について特別な時間を設け始めた。

南部商業高校の社会科教師、上津ヨシナオさん36歳は、修正の政治的な事情を生徒たちに、いろいろな事実をふまえて説明した。

「この修正は私たちの国において特別な時点で起きました。防衛庁の地位が防衛省に格上げされ、私たちの平和憲法の改正がささやかれている時にです」と上津先生は述べた。

先日の授業の後、ある生徒タマキミチエさん18歳は、「これらの事実を隠そうとしている自分の国が恥ずかしい」と語った。

年配の沖縄の人たちと違って、スエヨシアユミさん18歳は、沖縄で直接的な差別を感じたことは全くない。しかし今回のことで、今それを感じると語った。

9月29日、教科書修正に抗議して11万人以上の人々が宜野湾市に集まった。主催者側の予想より5万人も多い数である。1972年に日本に復帰して以来、沖縄で行なわれた抗議行動の中では、1995年、3人のアメリカ軍人による12歳の少女に対する暴行に抗議して8万5千人が集まったのをしのぐ最も大きなものである。

参加した人々は戦争の生存者の話を聞き、多くは明らかに感銘を受けた。

「政府の人たちは、私たちのおじいさんやおばあさんが嘘をついているとでも言うのでしょうか?」という2人の高校生の問いかけの後で、ナカムラツユさん65
歳は、「もう耐えられません」と涙をぬぐった。

與那原ノブヒコさん65歳と、妻のミサコさん65歳は、共に沖縄戦で親戚たちを失った。「私の父は、どのように日本兵から手榴弾を手渡されたか、など集団自決について話してくれました。歴史をゆがめることは良いことではありません。同じ間違いを犯す危険があります」と與那原さんは語った。

與那原夫人が付け加えた。「これは沖縄だけの問題だとは思いません。政府の都合によってこれらの事実が捻じ曲げられるということは、日本のすべての人々の問題でもあるのです」。

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