「主権」とは何か、 それをどのように教えるか

森 一郎(神戸市立高校教諭)

◆はじめに  

高校の「政治経済」の教科書の中には明確な定義がされずに使用され、そのため分かり易く教えるためにはどうしたらよいかと苦慮する用語も見受けられる。  

今回の発表で取り上げた「主権」という用語もその一つである。主権という言葉は、最近特にマスコミなどにも頻繁に取り上げられるようになったが、教科書レベルではどうであろうか。  

そこでまず各教科書会社の「政治経済」の教科書で「主権」がどのように定義されているのか、さらにその用語は正しく使われているのか、その使われ方に何か問題はないか等を考察し、「主権」概念の再検討を試みることとする



◆教科書での「主権」の使用例と定義  

「政治経済」の教科書で「主権」の使用例を見てみると、国民主権、天皇主権、主権国家、国家主権、主権平等の原則、主権の回復、国家の3要素の一つとしての主権、また日本国憲法の中にも3ヶ所、主権と言う言葉が出てくる。定義としては国内的な意味と対外的な意味の二つに分け、「国内に対しては権力の最高性、国外に対しては国家権力の独立性、および他国の干渉を受けない権利」というのが一般的な定義となっており、今回調査した10社の教科書の内7社がそうした定義をしており、概ね妥当と言える。  

特にS社の定義は次に見るように英語の原語から歴史的な経緯まで記述されており、最も詳しい定義と思われる。  

主権(sovereignty)には、本来、最高独立の権力という意味がある。国家主権とは、国内に対しては、国家権力の最高性を、国外に対しては、国家が他国から完全に独立し、干渉されないことを意味する。また、主権の所在によって、国民主権と君主主権にわかれる。15〜16世紀のヨーロッパで、統一的な政治権力をもつ国家が登場するようになり、その過程で主権概念が形成された。16世紀のフランスのボーダンは、絶対主義的な君主の国家支配権に正当性を与えるために、主権の概念を初めて理論的に説いた。  

S社とは逆に、二つの使用例が別々に記述されており、生徒にとっては理解に苦しむであろう教科書も3社の教科書で見られた。  


◆「天皇主権」対「国民主権」という構図  

国内的な意味での使用例として一般によく見られるのが、「天皇主権」対「国民主権」という構図である。これは明治憲法と現在の日本国憲法を、たとえば、憲法の特質によって、欽定憲法対民定憲法と対立させたり、戦争については国民の兵役の義務対平和主義というように二項対立的に比較したりして、一般に前者が「悪」であり、後者が「善」というニュアンスで記述されている場合が多いところである。天皇主権についても、明治憲法下では天皇は、政治から軍事まであらゆる場面で絶大な権力を握っており、天皇にとって出来ないものは何もない、というように教えられる場合が多い。しかしまず確認しておかねばならぬ事は、明治憲法の条文の中には「主権」という言葉は存在しない、という点である。これは現憲法下での「国民主権」と対比する意味で、後付で使われた言葉と思われる。そしてまた実際は、天皇といえども明治憲法第4条にあるように、この憲法の条規によりてこれを行う、と規定されており、あくまで憲法の範囲内でしか行動できないのであり、決して個人的な感情で行動したり、判断したりすることは許されなかったのである。しかも第55条にみるように、法律は言うまでもなく、天皇からの直接のお言葉である勅令や詔勅さえも国務大臣の副署がなければ有効となりえなかったのである。  

反対に現在の憲法下では国民が主権者であり、天皇は象徴にすぎず、第1条の「この地位は主権の存する国民の総意に基づく」と規定されているように、皇室制度は国民が反対すれば廃止することができるとも読み取れる条文になっている。

ここでのポイントは「国民」をどう捉えるかである。結論から言えば国民主権は人民主権とは違う、ということである。人民主権の場合は、まさに人民一人ひとりが主権をもっているという考え方であるが、国民主権の国民とは抽象的な集合概念なのである。@これはたとえば、日本国憲法成立時における国会での金森憲法担当国務大臣の次の発言からでも明らかである。  

「国家の行動の原動力ともなるべき意思、現実の源がどこにあるかといふことをいひ現 はす意味で主権といふ意味を用ひるならば、それは国民全体にある。その国民全体の中 には、天皇が含まれてゐる。…国家の意思の源泉は一人一人の人間の考へそのものでは ない。何千万の国民一人一人の考えが直に国家の主権となるといふ風には考えられない。国民が各自統合する。つまり一つの連結 をする。その連結をするうちにまとまってくるところの考え方が日本の国家の意思で従って主権の本体は国民の組織してゐる全体にある。」A(下線筆者)  

また戦後すぐに、義務教育段階での憲法学習の副読本として編集された『あたらしい憲法のはなし』の中にも、「もし国民ぜんたいの考えできまるならば、国民ぜんたいがいちばんえらいのです。こんどの憲法は、民主主義の憲法ですから、国民ぜんたいの考えで国を治めてゆきます。そうすると、国民ぜんたいがいちばんえらいといわなければなりません。国を治めていく力のことを「主権」といいますが、この力が国民ぜんたいにあれば、これを「主権は国民にある」といいます。(下線筆者)」と、あえて「国民」と表現せず、何度も「国民全体」と表現している。  

しかしながら、現在の学校教育では「君たち一人ひとりが主権者だ」というように国民主権を人民主権と同義に使用しており、はなはだ誤解を招く教え方をしているのである。  

したがって、前述の天皇主権は、天皇といえどもあくまで憲法に従って行動していたわけであり、反対に国民主権は国民一人ひとりが実権をもつとされる人民主権ではなく、国民という全体概念が代表者を通じて政治に参加するということである。それゆえ、現在使用されている「天皇主権」対「国民主権」という構図はどちらも極端な表現であって、今後は、天皇主権に対しては「立憲君主制」を、国民主権に対しては「代表(議会制)民主制」という用語を使用した方が誤解が少ないと思われるが、いかがであろうか。


国家主権の扱われ方は弱い?   

「国民主権」という言葉が比較的よく使用されている反面、「国家主権」の使用例は多くない。一例を挙げると、昭和27年4月28日は、我が国が国家の主権を回復した日であるが、「主権の回復」と明記されているのは2社のみで、他は「独立を回復」、「独立を達成」、「占領が終了」、「国際社会に復帰」等その重要性と重みが薄まった表現になっている。また主権を回復したと記述されている教科書も、次に見るように、「それとともに」という接続詞でつないでおり、後者に重点が置かれている表現になっている。  

「サンフランシスコ平和条約の発効により、連合国の占領下から主権を回復した。それとともに、アメリカとのあいだに日米安全保障条約を結び、冷戦下では、アメリカと協力して中ソの同盟に対応する体制をとってきた。」(K社)  

そこで、主権回復の喜びと同時に、その後の問題点も明確に表現できるように記述を改めると次のようになる。  

「昭和27年4月28日、サンフランシスコ平和条約の発効により、連合軍(GHQ)の占領が終わり、我が国に待望の主権が回復し、晴れて独立国日本として国際社会に復帰した。しかしながら、日本に主権が回復したとはいえ、同時に、アメリカとの間に日米安全保障条約を締結して、アメリカの保護のもとに置かれることになったため、我が国に主権意識が充分育たなかったという問題点も残すこととなった」と。


◆日本国憲法も「偽装」の条文がある  

国家主権を意識させない、という意味では、実は日本国憲法の条文にも「偽装」が存在する。  

有名な?日本国憲法第9条の第1項は以下のように規定されている。  

「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永遠にこれを放棄する(太字筆者)」  

英文では以下のようになっている。

“Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation”

この部分を素直に日本語に訳すと次のようになる。  

日本語訳「国の主権としての戦争を永久にこれを放棄する」。  

つまり主権と訳した場合は、日本は主権を持たない、つまり日本は国家ではないということを憲法で規定しているようなもので、これでは流石にまずい、ということになり、結局国権という意味不明な用語を使うことになったと思われる。しかしこれは完全に国民に対して偽装工作をやったとしか思えないのである。


◆国家主権を巡る問題が多発しており、教科書にも取り上げるべきでは  

まず領土問題である。領土とは主権のおよぶ範囲を表わす。したがって、領土が他国にわたることは、主権が侵害されたと同じ事である。イェーリングは『権利のための闘争』の中で「隣国によって1平方メートルの領土を奪われながら放置する国は、その他の領土も奪われ、遂には、領土を全て失い、国家として存立することをやめてしまうであろう」といっている。B  

学校教育では竹島、北方領土、尖閣諸島等の領土問題も主権の視点から扱うべきではないだろうか。  

その他、国家主権をめぐる問題として次のような事件がある。  

T 靖国神社の首相参拝に対する近隣諸国の干渉→わが国への主権侵害・内政干渉

U 日本の歴史教科書に対する近隣諸国の干渉→わが国への主権侵害・内政干渉

V 北朝鮮による拉致事件→北朝鮮によるわが国の国民への人権侵害であるが、 同時に日本のように国家主権意識の弱い国では、国民の基本的人権も疎かにされるという点も、見つめる必要がある。

W 外国人参政権問題→我が国の決定を外国人に委ねること→主権の放棄

X 中国瀋陽の日本総領事館に中国の警官が侵入した事件→外国における日本総領事館は日本の主権が及ぶ範囲

Y 我が国の捕鯨船に捕鯨反対の民間団体「シー・シェパード」の船が接舷して、二人の活動家が強引に我が国の船に乗り移った事件→日本の船は、どこにいても日本の主権が及んでいる。

以上のような事件に対しても、主権の視点から教科書にも記述され、授業でも取り上げるべきではないだろうか。


◆おわりに  

最後に中西輝政氏の次の言葉を読んで、研究会の発表の締めとした。  

主権国家の独立とは、個々の国民にとっても、人間の根源的な生と密接な関係にあるものです。「主権の危機」に備える心こそ、国家としての核心であり、国民としての「究極の覚悟」に関わるものだからです。なぜなら、国家主権が崩れれば、内外の諸力は必ず国民一人一人の生命・安全を脅かすからです。  

その意味で、主権と人権は究極的には一体なのであり、それを踏まえることが「文明」なのです。C


@杉原泰雄編『国民主権と天皇制』三省堂、103ページ
A同書、55ページ
Bイェーリング『権利のための闘争』岩波文庫、47ページ
C中西輝政『日本の「死」』文藝春秋、 118ページ。

※この記事は、第63回関西自由主義史観研究会で発表したもののまとめです。

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