「ゆとり教育」が国を滅ぼす
文部科学省の愚民化政策を徹底批判する

茂木弘道(叶「界出版社長)

このほど、小堀桂一郎氏の編著で『「ゆとり教育」が国を滅ぼす―現代版「学問のすすめ」』(小学館文庫 ) 本を出版した。

本年四月より新学習指導要領に基づく教科課程が実施され、いわゆる「ゆとり」教育がより本格的に行われることになる。

これに対する危惧がここに来て急激に高まってきているためか、遠山文部科学大臣は一月十七日、全国都道府県教育連合会総会において「確かな学力向上のための二〇〇二アピール『学びのすすめ』」と題する異例のアピールを発表した。

「学ぶ習慣」づくり、更には土曜日の補習授業にふれるとともに、学習指導要領を「最低基準」であることを強調するなど、まるで「ゆとり」路線の方向転換をしたと見まがうばかりの内容である。

しかしながらこのような糊塗策によって問題が解決されることはあり得ない。
三割削減に沿った教科書をつくらせておいて、いきなりこれは最低限なのだからもっと高度のことを教えてもいいのだ、などといわれた現場はどうするというのか、ということを一つとってみても、無責任極まる言い訳に過ぎないことが明らかである。

そもそも「ゆとり」教育なる理念そのものが、人間の上昇志向を誘導することを教育の基本にすえることを放棄し、人間の持つもう一つの側面である下降指向に迎合する「非教育」的なものである。
すなわち「教育破壊」に他ならないことを本書の編著者の小堀桂一郎氏は人間論の根本にさかのぼって解明している。

福沢諭吉は「学問のすすめ」のなかで、「怨望」の害を口を極めて力説しているが、「怨望」すなわち「ルサンチマン」こそが上昇志向教育を忌避し、平等主義の仮面をかぶった「反教育」思想の基となっていることを、小堀氏は喝破する。

「学問のすすめ」の根本は、「怨望」という他を引きずり下ろす非生産的有害無益な情念を否定し、上昇志向に基づき努力を行うところにこそある。本書が、現代版「学問のすすめ」と題されている所以である。
「ゆとり」教育方針が、昭和五十二年の学習指導要領に登場し、五十五年に実施された。その後起こったことは学力低下だけではない。
 イジメ・校内暴力が多発するのは昭和五十五年からである。過大な学習負担から解放されて「人間性豊かな子供」が育った(五十二年学習指導要領が狙いとした)形跡などは全くないのである。

本書の第二章「ゆとり教育が現出するまで」において、私はこれらの事実を少々詳しく紹介した。

不登校については、昭和五十五年と平成十年度を比べると、実数で六・二倍、対生徒比率では八・九倍となっている。こうした問題が、豊かな社会の病理と関係していることはいうまでもないが、「ゆとり」方針導入とほぼ並行して起こっているという事実は重い。

問題なのは、学力にしても、またそのほかのことについても、「ゆとり」方針導入がどのような影響をもたらしたのか、ということを追跡調査をし、その評価を行うという努力を文部(科学)省は全く行ってこなかったということである。

その様な評価・反省は全くなしで、より過激な「ゆとり」路線としての新学習指導要領を導入したということである。
そればかりか、「ゆとり教育」の中心的イデオローグである寺脇研審議官は、「『ゆとり』とはもともと平成八年夏に中央教育審議会が出した答申の中で使われた表現です」(「法律文化」平成十二年十二月号)などという、ウソを平然といっている。過去の反省ゼロ体質を露呈している。

アメリカにおいても、一九六〇年代から七〇年代にかけて、「自由化」「人間化」を主張するオルターナティブ教育理論が新左翼の影響を受けて登場し、浸透していった。「ゆとり教育」論と酷似するこの教育論がアメリカにもたらしたものを八木秀次氏は紹介しつつ、「ゆとり教育」の実施で何が起こるかを説く。「ゆとり教育」は国家の自殺教育に他ならないと結論する。

戦後の文部科学行政の基本であり続けた平等主義・競争否定のイデオロギーが、建前にとどまらないところまで来てしまったのが「ゆとり教育」という教育破壊であると榊原英資氏はとらえる。基本的に「社会主義的」な教育システムを根本的に変換すべきであることを提言する。

これらに加え、各科目別の具体的な問題点が各分野のエキスパートによって分析されており、本書は「ゆとり教育」批判の決定版というべき内容になっていると思う。
是非、ご一読願いたい。

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