中国の反日運動

杉本幹夫(自由主義史観研究会理事)

西安で日本人留学生の愚行から猛烈な反日デモが発生した。なぜあの程度のものが、激しい反日デモになるのであろうか。それは現在行われて反日教育の成果である。昭和初期の反日運動と同じパターンである。当時は日本人への暴行、日本商品の不買運動に繋がり、遂は満州事変・支那事変となり、大東亜戦争になった。今回は大事件までは至らないようであるが、日本人への暴行、日本商品の不買運動が一部発生したようである。

やはり外務省・マスコミが自虐史観に取り込まれ、中国の反日教育に抗議を行うどころか、逆に煽っていることが問題である。

そもそも中国で日本の靖国神社参拝阻止運動が起きたのは、昭和六〇年、中曽根首相が神道形式を排した公式参拝を実施してからである。この頃中国では権力闘争が始まり、中曽根首相は当時の胡耀邦総書記を守るため、靖国参拝を断念したと言われる。このような日本の首相の行動が、中国での大きな問題化したという事は、日本のマスコミが火を付けたと思わざるを得ない。

それではそれまで中国の首脳はどのような発言をしていたのであろうか。

昭和三九年毛沢東は、日本社会党の佐々木委員長との会談で、「日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらし、中国人民に権力を奪取させてくれました。皆さんの皇軍なしには、我々が権力を奪取するのは不可能だったのです」と日本に感謝しているのである。

又とう小平は昭和五二年、三橋健次郎元陸将との会談で、「日本が蒋介石を重慶まで押し下げてくれたので、日本軍の占領地域の後方に拡がり、八年の間に八路軍は一二〇万に増え、さらに数百萬の民兵を作ることができた。」とやはり日本に感謝しているのである。

日本との戦争により、中国国民が大変な被害を受けたことは事実である。しかし、それに先立つ数多くのテロ事件、下記の書類を見たとき、非を日本のみに押しつけるのは如何なものか。尚下記は国会図書館所蔵の興亜院政務部・コミンテルン関係一括資料の中にあるが、入手経路が不明なるが故に怪文書と言われる。

昭和一〇年コミンテルン大会におけるスターリン演説「ドイツと日本を暴走させよ。しかしその矛先を祖国ロシアに向けさせてはならない。ドイツの矛先はフランスとイギリスへ、日本の矛先は蒋介石の中国に向けさせよ。そして戦力を消耗したドイツと日本の前には米国を参戦させて立ちはだからせよ。日・独の敗北は必至である。そこでドイツと日本が荒らし回った地域、つまり日独砕氷船が割って歩いた跡と、疲弊した日独両国をそっくり共産陣営に頂くのだ。」

昭和一二年七月コミンテルン指令「あくまで局地解決を避け、日中全面衝突に導かねばならない。右目的貫徹のため、あらゆる手段を利用すべく、局地解決や日本への譲歩によって中国を裏切る要人は抹殺しても良い。」

又蘆溝橋の一発は劉少奇の指示によるものとの説がある。北京周辺を守っていた宋哲元軍の中には張克侠副参謀長以下多数の共産党員又はシンパがいた。そして停戦協定が成立しそうになると、郎坊事件、広安門事件等次々に協定違反が行われた。

日本にはゾルゲ事件で有名な尾崎秀美が近衛首相の側近にいた。

ルーズベルトの側近には、戦後マッカーシー旋風でやり玉に挙げられたハリー・デクスター・ホワイト財務次官、ロークリン・カリー中国問題担当・大統領特別補佐官がいた。大統領夫人エレノアも共産党のシンパと言われる。

又日本非難の原点となっている東京裁判について、インドのパール判事の日本無罪論、マッカーサー元帥の上院での証言「日本の自衛戦争説」は有名であるが、その他にも下記の発言を見ると、マスコミ・外務省は一体何をしているのかと言わざるを得ない。

トルーマン大統領「神の前では双方に罪がある」
アメリカのブレークニー弁護士「日本は原爆に対し、報復する権利を持つ」
オランダのレーリング判事「東京裁判には法的手続きの不備と、南京大虐殺のような事実誤認があったが、裁判中は箝口令が敷かれていて言えなかった」
キーナン主席検事「東京裁判は公正なものではなかった」
ウェッブ裁判長「東京裁判は誤りであった。」「米英とも日本と同じ立場に置かれたら戦争に訴えたであろう」

主席検事、裁判長までもが、不公正な裁判だったことを認めているのである

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