「北海道経済」2004年6月号より
人格の尊重は人命尊重に優先する
イラクにおける日本人人質事件に思う


的場光昭(医師)

三人の人質をとって自衛隊の撤退を要求するテロリストに断固として屈しないという日本政府に対して、事件発生から四日後の四月十二日旭川市議会は、拘束されている三人の人命を第一に無事解放に向けて最善の努力をするよう強く要請し、「国民の間で自衛隊の撤退の声も出ている」という文言を含む事件即解決を政府に求める意見書案を可決したと全国ニュースが報じていた。実に恥ずかしい。

恥ずべき事その一、「即時解決を政府に求める」ということはテロリストの要求を呑めということである。その二、「国民の間で自衛隊の撤退の声も出ている」と自らの決定に対する責任を国民に転嫁し市議会の権威を貶めている。その三、「国際犯罪に政府が一丸となって対処している最中に地方議会の意見書など採るに足らぬということに気づかぬ自意識過剰の愚かさである。

また小樽市も十二日「政府が人命尊重の立場に立ち、一刻も早い解決に向けて、引き続き最大限の努力をするよう求める」要請文を、札幌市議会も同様の要望書を政府に送付したが公金の無駄遣いというものだ。

さらに人質解放後の十六日、旭川市長は「ご家族をはじめ、多くの方々の強い願いを込めた解放への努力に対して心より敬意」を表しておきながら政府に対しては「今後このようなことがないよう、日本人の安全確保のため最大限の対応をお願いしたい」とお説教を垂れている。この人は第二師団のイラク派兵出陣式に市民代表として招待されておきながら、首相の靖国参拝ではあるまいに、「一市民として出席させていただいた」と挨拶して失笑をかっていたのであるが、議会はともかく市長の愚かさもここに至っては感激すら覚える。

私は、「人格の尊重」は「人命尊重」に優先されるべきだと常日頃心がけて診療している医師である。ホスピス医療や尊厳死などで多くの国民の同意を得ているはずの、「人格の尊重は人命尊重に優先する」という常識が、ここぞとばかりに自衛隊撤退を訴える市民団体や家族の悲しみを伝える報道によって掻き消されてしまった。

人間の生きる価値目的は単に生命体の保持延長ではない。もしそうであれば、人類は有史以前からこの価値と目的に対する敗北の連続であり将来にわたって希望がない。宗教者や哲学者によって、各人の内面意識の自覚の有無にかかわらず理想として求める人格の完成こそが人生の価値と据えられたがゆえに我々は「必ず死する身」ではあるが、今日を生きる勇気が与えられ歴史を積み上げることができたのである。

彼らは、一命を賭して惨状を伝える写真を世界に発信しよう、子供たちを救おう、また劣化ウラン弾の悲劇を知らせようとイラクに乗り込んだのだ。万一犠牲になることがあっても肉親は兎も角、否、肉親であればこそ「死所を得たり」と納得するはずである。それが人命よりも人格を尊重する姿である。

今回の日本政府の対応について国民の意見は以下に集約されていた。人命は尊重すべきだが卑劣な行為に国家が屈服することはない。人命尊重の見地から自衛隊は撤退すべきだ。個人の責任において危険地域に入ったのだから、人命は尊いが国家の政策と同列に議論できない。我儘、自業自得である。

自業自得という切り捨てた意見は別として、他はいずれも個人の命と国家を対立させ、もしくは対比させ両立不能の場合は、人命を、あるいは国家を優先すべしという唯物論的発想を乗り越えていない。

「人格の尊重は人命尊重に優先する」という人間存在の根本命題に立ち返れば、個人の究極の価値である人格の尊重と国家の尊厳がたとえ人質事件においてすら両立可能だと私は考えている

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