「反日」プロパガンダの文脈を解明する2冊の好著

藤岡信勝(自由主義史観研究会代表・拓殖大学教授)
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「南京大虐殺」と「朝鮮人強制連行」は、日本人に自虐史観を注入するための二大テーマであったし、今後もそうであり続けるだろう。従って、この二つの歴史的虚偽=プロパガンダとの戦いは、今後何十年も続くものと覚悟を決めなければならない。また、これらのテーマがそれぞれの時代状況の文脈の中でどのように形作られ、どのような役割を担わされ、どのように変容してきたかも、注意深く検討しなければならない。
そういう問題を考える上で、重要な示唆を与えてくれる本が、最近、二冊刊行された。一つは、「南京大虐殺」に関係する、鳥居民『「反日」で生きのびる中国』(草思社)で、今年の二月に発行された。もう一つは、鄭大均『在日・強制連行の神話』(文春新書)で、六月末に出たばかりである。今回は、この二冊の本を取り上げてみたい。
鳥居民著『「反日」で生きのびる中国』
鳥居民氏の本には、「江沢民の戦争」という副題がついている。戦争の相手は日本で、それは武器をもって戦う戦争ではなかったが、武器による戦争よりももっと深刻な影響を人々の心の中に植え付ける戦争、すなわちとてつもない規模の政治思想工作だった。しかも、中国が日本とのこの戦争を戦っていることを、日本のメディアは黙殺し、日本の政治家も外交官も見て見ぬふりをしたから、当の日本国民は江沢民の戦争の相手にされていることさえ知らなかった。では、それはどんな戦争だったのか。
一九九四年、中国共産党中央宣伝部は、「愛国主義教育実施綱要」を定め、公布した。幼稚園から大学まで、徹底した「反日」教育を施すための指針が書かれた文書だった。大々的な反日キャンペーンのための放映にそなえて、この年、劇場・テレビ用の反日映画が量産された。各段階の学校の生徒が必ず見ることを義務づけられる「愛国映画百篇」が定められた。また、「愛国主義教育基地」の建設という方針のもと、各種の博物館、記念館、戦闘記念施設の建設と利用がはかられた。本号で岩田義泰氏がレポートされているのは、まさにこうした「愛国主義教育基地」の実態である。
そうした準備を経て、翌年の一九九五年から、江沢民は、中国の若者の中に日本人への憎悪と敵愾心を刷り込むための大規模な国家的作戦を展開した。ニューヨーク・タイムズの記者、ニコラス・クリストフは、「中国勤務から日本に移って以来、中国人の大多数が抱く日本に対する敵意に、大部分の日本人がほとんど気付いていないことに、私は衝撃を受けている」と書いたほどだ。
もっとも、これらの実態は、産経新聞の古森義久氏のレポートによって、私たちも幾ばくかは知りつつあったことである。「古森氏の前に中国特派員はいなかった」と言われるほど、他の記者が書かないことを古森氏は暴露して日本の読者に伝えた。鳥居氏の新著で最も教えられる点は、「愛国主義教育」のよって来る歴史的文脈である。
なぜ、今「反日教育」なのか
一九五八年、毛沢東は大躍進と人民公社化の運動を始めたが、その結果は二年間に二千万人、あるいは別の人口学的推計によれば三千万とも、四千万ともいわれる膨大な数の人々を餓死させる大惨禍をもたらした。農村は荒廃し、国中が中国共産党に対する怨嗟に満ちていた。こうした共産党の危機に対処するために一九六一年に開始されたのが、林彪が主導した「両憶三査」(二つのことを思い出し三つのことを調べる)の教育運動だった。思い出すべき二つのこととは、「階級苦」と「民族苦」である。しかし、この時おもに使われたのは、「階級苦」のほうで、住民を一箇所に集めて、共産党が権力をにぎる以前の旧社会への深い恨みを思い出させ、階級的搾取を受けた苦しみをぶちまけさせ、苦難の数を数えさせ、共産党統治下の現在の幸福を知る、という手順に基づく教育であり、著者はこれを「集団的精神療法」の一種とよんでいる。この時期に人民公社を訪れたフランス人のジャーナリストは、どこにいっても、冷酷な地主、搾取される農民、寒さや飢えで死んだ子どもの話を聞かされ、「旧体制の残虐行為の写真が展示されていて、こういう物語を図解」していたという。
その後の中国共産党は、より現実的な路線を取ろうとする幹部が党の実権を握り経済を立て直そうとしたのに対し、毛沢東が紅衛兵を使って奪権闘争を仕掛けた「文化大革命」が展開される。その後、紆余曲折を経てケ小平の改革開放路線が確立する。一九八九年四月、天安門事件が起こり、百万人のデモが広場を埋めつくしたとき、ケ小平は「われわれの政治思想工作が中途半端だった」と後悔の念を洩らした。彼の頭にあったのは、崩壊寸前の党の威信を回復した「両憶三査」だったはずだ、と著者は推定するのである。
だが、ケは「両憶」の一つ、「階級苦」のことを教えるつもりは毛頭なかった。中国共産党は階級闘争などとっくの昔に捨ててしまったからだ。また、市場経済と官僚的統制のはざまで私利を蓄えた党幹部には、社会主義の理想を語る権威も資格も失われていた。ケが利用しようとしたのは、もっぱら「民族苦」のほうだった。この路線を引き継いだのが江沢民で、愛国主義を軸に国民を団結させ、愛国主義こそ社会主義なのだと主張するという方針だった。九十年代の「愛国教育」は、六十年代の政治思想教育の伝統を受けつぎつつ、憎しみの対象を「地主・富農・資本家」のかわりに「日本」に置き換えたものだったのだ。
鄭大均著『在日・強制連行の神話』
鄭大均氏の新著は、「朝鮮人強制連行」という言葉がどのようにして生まれ、この言葉が喚起するイメージがどのようにして定着していったかを精査したものである。
この本で最も説得力をもって教えられたのは、在日コリアンの世代論的分析である。鄭氏は、「一・五世」という概念を援用する。在日一世は、みずから故郷を離れて日本に移住してきた人々で、二つの文化や社会を知っている世代である。それに対し、「一・五世」とは、一世の親たちとともに幼少期に海を渡って来た人々のことで、彼らは日本の社会しか知らない。実は、「在日=強制連行の犠牲者」という自己イメージをつくり出す担い手となった世代は、一世ではなく、一世の世代を代弁するかのように語るようになった「一・五世」の世代だというのである。一九二九年、七歳の時に渡日し、のちに『朝鮮人強制連行の記録』(一九六五年、未来社)を書いた朴慶植がまさにこの世代である。
一世が教育に恵まれなかったのに対し、「一・五世」は日本で教育を受ける機会に恵まれたから、彼らの中から親たちの物語を記す人間が出てきたのは自然の成り行きだったが、問題はこの「一・五世」が記した強制連行論を一世の多くは読むことができなかったことである。そうした事情もあって、強制連行論は野放しにされたのだ。著者は、在日一世のナマの証言を集めた資料から大量の引用をしてみせることによって、「在日=強制連行の犠牲者」というイメージが根拠のないものであることを説得的に論証している。
また、強制連行論は、在日一世→一・五世以後の在日社会→日本人→外国人、という具合に、当事者性が同心円的に希薄になるにつれて、その言説が単純化・直截化される傾向にあるという分析もうなずける。
近く、この春入試センター試験を受けた大学一年生のグループが大学入試センターを相手取って民事裁判を起こすことが計画されている。本書は、裁判官などの関係者の蒙を開く有力な援軍である。
この二冊の本は、ことがらの歴史的文脈や背景を描き出すことによって問題の真相と奥行きを知らせる好著であり、一読を勧めたい。
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