「暗黒大陸
中国の真実」に学ぶ

藤先田賢紀智(千葉県立柏北高等学校教諭)
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中国の実態を知る必読の書
この七月、芙蓉書房出版社から本書を翻訳刊行した。近現代史研究家田中秀雄氏に原書を紹介され、読み出すと次のページが気になり睡眠不足になることしばしば。両名で翻訳を始めてからほぼ一年半で出版となった。
七十年前のアメリカ外交官が見たまま聞いたままの中国の実態をアメリカ人向けに書いた書であるが、日本人必読の書。日本人にあの国の実態を知らしむべし、との思いに駆られる。 ただし原文は難解。そのまま訳したのでは理解困難。無謀は承知で思い切った日本語にし、翻訳臭をなくすよう心がけた。
出版直後、期せずしてサッカー・アジア杯での中国観衆の醜態が明らかになったこともあって、読売、毎日、産経、週刊新潮等で取り上げて下さったお陰で初版以来三ヶ月、八刷りとなった。感謝の一言。
今回、紙面をお借りして翻訳の過程で学んだことを二つ紹介したい。その一つは翻訳の難しさと楽しさ。今一つは、こちらが重要だが、日本がとるべき対中外交姿勢について。
翻訳の難しさと楽しさ
まず翻訳の難しさ、面白さから。
どんな立派な内容でも本として出すからには読まれなければ何の価値もない。聖書にも「灯りをつけて、それを枡の下に置くものはありません。燭台の上に置きます。そうすれば家にいる人々全部を照らします」とある。例えば第六章 宣教師の心 一六三頁の原文はこうである。
It is the conviction of American Consular officers in China that
the missionaries would suffer less if they would realize that the
two-cheek policy is an absolute failure in dealing with the Chinese. Instead
of being shamed into virtue by it, the Chinese naturally take advantage
of its privileges.
It is the view of the American business man that this posture of
crawling humility “spoil” the Chinese, and in fact it does, very
decidedly, dispose them to disregard all common rights of foreigners---
rights prevailing as a matter of course in every civilized land.
Business men in China are perpetually cursing the missionaries for
causing all foreigners, as they feel, to lose caste by allowing
themselves to be run over and stepped on.
直訳するとこうなる。
もし彼らが中国人との付き合いでは二頬政策は完全な失敗であるということを気づけば 宣教師たちはより少なく苦しむことになるであろうということが中国にいるアメリカ領事館員たちの確信である。それによって恥じと思わされ徳に入ることをしないで、中国人たちは自然にその恩恵を利用する。人にこそこそ取り入るような謙虚な姿勢は中国人たちを「甘やかしてだめにする」というのがそのアメリカ人企業家の意見である、そして事実、それは全ての外国人の普通の権利−全ての文明化された国では当たり前とされる権利−を非常にはっきりと彼らに無視したい気分にさせているのである。中国にいる企業家たちは全ての外国人が、彼らはそう感じているのだが、彼ら自身を轢かれ踏みつけられることを許すことによって社会的威信を失う原因になっているので宣教師を年から年中呪っているのである。
これでは正確ではあるが翻訳臭が強すぎてとても人様にお出しできない。「二頬政策」とは何ぞや。「それ」とは、「その恩恵」とは何ぞや。そこで思い切ってこう翻訳した。「右の頬を打つような者には左の頬も向けなさい」とイエスは説いた。しかし中国人が相手では全く通じない。左の頬を出されて「あ、可哀想なことをした」と反省するどころか「えっ、左まで出すの?それじゃ」と思いっきりぶん殴るのが中国人である。「どうして宣教師は気づかないのか」と領事館員は嘆いている。こういう卑屈な姿勢がかえって中国人を甘やかすことになる。おかげで、文明国家では当然の権利である外国人の権利を平気で踏みにじる。「宣教師が甘やかすお陰で我々民間まで仕事をめちゃめちゃにされ、面目丸つぶれだ」と、民間には怒りの声が絶えない。
ところで本書の出版直後、読者から幾つか質問を頂いた。「所謂翻訳臭がない。本当に翻訳したのか?タウンゼントの名を借りて適当に書いたのではないか?イザヤ・ベンダサンではないか?」と。対して「原文に忠実ではないが、趣旨を分かりやすく翻訳した。訳者の力量不足で著者の意を十分尽くせないところもあろうが、原書を離れた意図的な翻訳はない」とお応えした。
さて、「二頬政策」では、理解できない。そこで思い切ってイエス様にご登場賜った。「それ」とは「二頬政策」である。従って「その恩恵」とは「二頬政策の恩恵」である。「恩恵」とは、「いくらやられても優しくする宣教師のお人よしな態度」である。また長い文は短い文にした。字数が直訳の三六四字から翻訳では一六三字と半減した。
日本が取るべき対中外交姿勢
次に、日本が取るべき対中外交姿勢について述べよう。
畢竟「彼を知り己を知らば百戦して危うからず」である。お人よしの日本人は孫子の兵法を知りながら「彼を知らず己を知らざれば戦う毎に必ず危うし」である。「教科書を書き代えよ」と恫喝されると所謂近隣条項を作って「南京大虐殺」「三光作戦」をと書く。「靖国参拝止めろ」と「厳命」されると、「八月十五日に参拝する」と「言明」して総理になった人が別の日にこそこそ参拝する。領海に原子力潜水艦が侵入しても、出て行くまで見守る。相手は原爆を持ち、オリンピックを開催する国である。その国に何兆円もの援助をする。「彼を知らない」からである。
支那事変の泥沼の戦いについても同様である。近年の教科書は日本の中国侵略戦争としているが、日本は不拡大方針を取り和平工作をするが約束違反の挑発をされ、止む無く戦火が広がったのである。満州事変、盧溝橋事件、上海事変と同じである。このあたりをタウンゼントはこう述べている。
いくら条約を結んでも日本の権益を不安に曝す中国人の妨害行動は収まらなかった。条約は守らない、地下工作・破壊活動は止まらない。こういうことが何年も続いた。(中略)日本が立ち上がったとき、世界はそれを「戦争」と呼んだ。(中略)中国にいる数千の米英人は、日本と同じ苦悩を味わっているから、気持ちがよく分かる。大半は内心、日本を応援したと思う。(二七六頁)
しかし日本は満州事変でも上海事変でも大きなミスを犯した。武力行使に至るまでの経過を世界に向かって説明すべきだったのにしなかったミスである。「まことに遺憾である」と何度も訴え、しかる後「やむなく攻撃に至る」とすべきであった。もし、一九三一年の夏の中国人の凶行を(無駄と分かっていても)国際連盟に繰り返し提訴し、中国に対し勧告を下すよう努力したら、国際世論を味方に付けられたかもしれない。知ったら驚くような苦悩を日本は背負っていたからである。日本が蒙った被害は膨大であったのである。被害とは何か。軍閥の略奪である。軍閥は己の略奪行為を隠すため、「我こそは愛国者なり」とうそぶいている。(
二七二頁)
さて二七三頁には対中外交のお手本になる話がある。
福州の日本人教師夫妻殺害事件が起きた。田村総領事は五万ドルの賠償を要求した。中国側はまともな返事をしない。業を煮やした田村は「これ以上申し上げることはない。当方は既にことの詳細を海軍に打電し、軍艦数隻がこちらに向かっている。五万ドル耳を揃えて持ってくるまでは面会無用」と席を立った。徹夜で相談した中国側は明け方近くになって五万ドルを現金で持ってきた。直後、日本の軍艦が到着した。
以来日本人に対する態度が一変した。あらゆる反日行動がピタッと止んだ。日本人は最高の扱いを受け、最も尊敬される外国人になった、という。断固たる態度でしか事件は解決できない。中国人はそういう人を尊敬する。田村氏のシンガポール総領事転任時、送別会が設けられた。中国役人にも尊敬されていたのである。以来、福州在住日本人三千人は何ら危害を加えられることなく、平穏に暮らすことが出来た、という。
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