特集
敵兵を救助せよ!


 工藤俊作艦長墓前祭・顕彰式、フォール卿再来日記念


1942年3月1日、ジャワ島北方のスラバヤ沖海戦で、イギリスの重巡洋艦「エクゼター」と駆逐艦「エンカウンター」が日本軍の艦隊に撃沈された。両艦の乗組員らは海に投げ出されて漂流。力尽きる寸前の翌2日、ようやく彼らは通りかかった船に発見されたのだが…その船は、旧日本軍の工藤俊作少佐(当時・最終階級は中佐/写真右下)率いる敵国日本の駆逐艦「雷(イカズチ)」だった。

落胆した英兵達は、機銃掃射を覚悟した。けれども工藤艦長は、「戦いが終われば敵も味方もない。全員救助せよ」と部下に命じ、救助活動中を示す国際信号旗を掲げた。武士道精神に則ったこの救助劇で、命を救われた英国人兵士は422人。縄梯子や竹竿で引き上げられた彼らに、「貴官らはよく戦われた。本日は日本海軍のゲストである」と工藤艦長は述べ、食料と暖をあてがった。当時、この戦闘海域では日本船舶に対して連合軍による無制限潜水艦攻撃命令が出ており、友軍の救出にも二の足を踏むほどの状況。実際、同じ日に日本の輸送船が撃沈されている。工藤艦長の英断は想像以上に勇気を要するものだったのだ。

しかしながら、終戦後も工藤艦長がこの件について語ることは一度もなかったため、救われた一人である元英国海軍中尉、サムエル・フォール卿が平成15年に来日するまで、この美談はほとんど知られずにいた。だ
が、この感動の物語は、工藤艦長の行方探しをフォール卿に依頼されていた惠 隆之介氏(評論家・元海上自衛官)によって著書 『敵兵を救助せよ!』(草思社)にまとめられ、フジテレビのバラエティ番組『奇跡体験!アンビリバボー』でも紹介されるまでになった。

本年(2008年)12月の7日と8日にわたり、故・工藤艦長をしのぶ墓前祭と顕彰式がそれぞれ埼玉県と東京都内で開かれることになり、フォール卿も再来日する。当サイトでは『武士』を教える特集でも工藤艦長の武士道精神を取り上げたが、式典を記念してここに改めてご紹介させていただく。



「敵兵を救助せよ 1」/テレビで紹介された駆逐艦「雷」による英兵救助物語の再現動画・第1部(約8分)。

「敵兵を救助せよ 3」/テレビで紹介された駆逐艦「雷」による英兵救助物語の再現動画・最終部(約7分)。
「敵兵を救助せよ 2」/テレビで紹介された駆逐艦「雷」による英兵救助物語の再現動画・第2部(約6分)。

“Japanese Bushido Saved Lives”/上段・左の三つの動画の英語字幕版の第1部。続きはこちらからどうぞ。



『授業実践報告/「敵兵を救助せよ」を授業する』(小学生版)
安達 弘/横浜市公立小学校教諭

『授業案/「敵兵を救助せよ」』(中学生版)
服部 剛/横浜市公立中学校教諭

『授業案/スラバヤ沖海戦における奇跡の物語』(高校生版)
松浦明博/都立小金井工業高校教諭

小学生版を受けた生徒の感想(安達教諭の実践報告より抜粋)

○敵なのに救助するなんてすごい決断力だなと思った。おぼれそうな人を自ら飛び込んで助けるなんてとてもできないと思ったし、大切な水や食料をあげるなんてぼくにはとてもできないことだと思った。武士の時代が終わっても武士の誇り高き武士道をもっているなんてたくましい人だと思った。国が違っても同じ人間なのだから誰にでも優しくふるまっていきたいと思った。

○とても感動した。どんなに遠くにいる漂流者も必ず助けた、というのが立派だと思う。助けられたイギリス兵もその家族もきっと工藤艦長に感謝したと思う。「助けたらそれでOK」ではなくて、体中の油を拭いて上げたり、洋服をかえてあげたり、大事な食べ物まであげてすごかった。きっとイギリス兵の人たちは助けを待っている時ととても不安だったんじゃないかと思う。だから、雷が来た時すごくうれしかったと思う。自分もそんな工藤さんのような考えができる人になりたいと思った。

○工藤さんはとても偉い人だと思う。敵を救助していろんな人の命を救ったのだから。1人1人に着る物、食料を与えたりしたから。1人1人だれかがいるだけで船を停めたから。逆にイギリス人もすごいと思う。21時間も海にいたのに生きようとがんばっていたし、フォールさんは日本にまでお礼を言いに来るというから。どちらもすごいと思った。命を捨ててまで海の中に入った日本人と頑張って生きようとしたイギリス人、どちらもすごかった。



式典のためのフォール卿の来日を報じる記事/2008年12月2日付産経新聞





1901年1月7日生まれ、山形県出身。海軍兵学校卒(第51期)。軽巡「夕張」、戦艦「長門」、駆逐艦「椿」、駆逐艦「旗風」(航海長)、軽巡洋艦「多摩」、駆逐艦「桃」(水雷長)、重巡洋艦「鳥海」(分隊長)、駆逐艦「狭霧」(水雷長)、軽巡「球磨」(水雷長)、軽巡「多摩」(水雷長)、軽巡「五十鈴」(水雷長)での任務を経て海軍少佐に昇進。1938年、駆逐艦「太刀風」艦長となる。駆逐艦「雷」の艦長就任は2年後の11月。1942年には駆逐艦「響」の艦長となり、11月に海軍中佐に進級。1944年11月から体調を崩し、翌年3月15日に待命。

終戦後は
埼玉県川口市にある親戚が開業した医院で事務職に従事。毎朝、戦死した同期や部下達の冥福を仏前で祈ることを日課としていた。1979年1月12日、胃癌のため死去。臨終前に海軍兵学校の旧友が駆けつけた際、「貴様はよろしくやってるみたいだな。俺は独活の大木だったよ」と言い、後息を引き取った。

身長185cm、体重95kgというガッチリした体格の柔道有段者でありながら、性格が温厚だったため、「工藤大仏」と仇名されていた。艦内では鉄拳制裁を厳禁とし、士官達には「兵の失敗はやる気があってのことであれば、決して叱るな」と口癖のように命じた。見張りが遠方の流木を敵潜水艦の潜望鏡と間違えて報告しても、「その注意力は立派だ」と誉めた。

部下には分け隔て無く接し、工藤が艦長を務めていた際の艦内は常にアットホームな雰囲気に満ちていたという。また、酒豪だった工藤は何かにつけて宴会を催し、士官と兵の区別なく酒を酌み交わす。兵員の食事によく出るサンマやイワシが好きで、士官室でのエビや肉の皿を兵員食堂まで持って行っては、「誰か交換せんか」と言ったりもした。「雷」の乗組員らは‘オラが艦長は…’と自慢し、「この艦長のためなら、いつ死んでも悔いはない」とまで公言していた。

高松宮宣仁親王が長門乗務の時、階段から転んで足を怪我した際、艦内では草履を履いていたが大正天皇のお見舞いの時は草履というわけにはいかず、どう しよう と相談したところ、宮の心中を察した某少尉が 「私のクラスに大足の大男がいます。奴の靴を借り ましょう」 と靴を拝借してきた。宮が履いてみたところ包帯で巻かれていた右足はピッタシだったが左足はダブダブ、「仕方ないので左は自分の靴を履いていくことにする」 と左右全く大きさが違う靴を履いて天皇をお見舞いし、「上手く行った。御殿の人間にも侍従にも全くバレなかった」 と宮は大喜びしたという。その後 「それでは奴に酒をおごらないといけませんな。奴は酒好きですから」 と三人で宴会になり、後に同期全員で大宴会、最後は 「殿下のツケでお願いします」 となり宮が酒代すべてを支払う ことになったというエピソードがあるが、某少尉の言う 「大足の大男」で 「酒好き」 の 「奴」 とは少尉時代の工藤のことである。(阿川弘之著 『軍艦長門の生涯』より)


吹雪型駆逐艦。1930年3月7日、浦賀船渠で起工。1931年10月22日、進水。1932年8月15日、竣工。1941年12月4日から香港攻略戦、1942年1月9日からメナド攻略戦に参加。同年3月1日、ジャワ海で重巡洋艦「足柄」・「妙高」・「那智」・「羽黒」、駆逐艦「山風」・「江風」と共に、英重巡洋艦「エクセター」、英駆逐艦「エンカウンター」、米駆逐艦「ポープ」を撃沈。翌年にかけて、他にも戦歴多数。1944年4月13日、船団護衛中にグアム島の西にて、米潜水艦「ハーダー」(USS Harder, SS-257)の雷撃を受け沈没。同年6月10日、除籍。英語では駆逐艦のことを‘Destroyer’と言い、敵を粉砕するようなニュアンスが込められているが、「雷」はそれとは正反対の任務にも携った、類稀な軍艦として歴史に名を残すだろう。



敵兵救助秘話を世に広めたサムエル・フォール卿は当時、ジャワ沖海戦で撃沈された駆逐艦で砲術士官を務めていた。終戦後は英国外務省に入省し、スウェーデン大使も務め、‘Sir’の称号を与えられた名士。

フォール卿は1987年に、救助されたときの体験談を 『米国海軍協会紀要(United States Naval Institute Proceedings)』に、「騎士道精神」と題して発表した。工藤艦長から英兵らに下された唯一の命令は、潜水艦攻撃を回避するために、夜間の甲板上での喫煙禁止だけだったと記している。だが、残念なことに、この手記を書いた同年、既に8年前に艦長が他界していた事実をフォール卿は知らされてしまう。

念願だった工藤艦長との再会は叶わなかったが、フォール卿はその後も講演や執筆を通じて、機会あるごとに「雷」の恩人らによる救助秘話を世に語り続けた。1992年にジャカルタで行われたスラバヤ沖海戦50周年記念式典でも、彼は記念講演の中で工藤艦長の功績を称え、日本武士道の実践を強調。会場からは万雷の拍手とスタンディング・オペーションが起こったという。
また、1998年には英国紙『ザ・タイムズ』に、「雷」による救助劇について綴ったフォール卿の投書(下記枠内参照)が掲載された。数年前には第2次大戦終結50周年に沸いたばかりのイギリス国内で、旧日本軍批判の風潮が高まっていた最中のことだった。

2003年にフォール卿は85歳で初来日し、海上自衛隊の観艦式に出席した。その際にフォール卿は、「こんな素晴らしい観艦式に招待されて感激した。『雷』は潜水艦の脅威があったのに、数時間も留まって全員を救助してくれた。彼らは騎士道精神の具現者だ」とコメントしている。ちなみにフォール卿の搭乗艦は、防衛庁の粋な計らいで同名艦の「いかずち」 (平成13年竣工の4代目)が充てられた。尚、1996年に自叙伝 “My Lucky Life”を上梓。その巻頭には、自身の家族と同時に
日本帝国海軍少佐、故・工藤俊作に本書を捧げる旨が銘記されている

元日本軍の捕虜として、旧敵となぜ和解することに関心を抱いているかを説明申し上げます。私の乗り組んでいた駆逐艦エンカウンターと巡洋艦エクセター、それに米国の駆逐艦ホープは、1942年3月1日に圧倒的な勢力の日本軍部隊によって撃沈されました。〔そのあと、連合軍潜水艦による攻撃の脅威があるなかで〕日本軍は救助に長時間を費やしてできる限り多くの私たち生存者を救助してくれました。エンカウンターの乗員仲間と私の300名以上の者は、重油にまみれ海中で24時間を過ごし、衰弱しきっておりましたが、救助されて日本の駆逐艦イカズチの艦上に上がると、びっくりするような歓迎を受けました。日本の水兵たちは、われわれの体に付いた重油をふき取ってくれ、そのうえ衣服、籐椅子、暖かいミルク、缶詰牛肉、乾パンを支給してくれました。やがて艦長が艦橋から甲板に降りてきて私たちに向かって流暢な英語で、こう語りかけました。「諸君は勇敢に戦った。今は日本帝国海軍の名誉ある客人である。私は英国海軍を尊敬している」。そして、艦長はこの言葉を守り、私達が、イカズチに乗艦していた24時間、これ以上ないほどの待遇を受けました。(Letters to the Editor: Samuel Falle "The Times" 29th April, 1998/今泉康昭訳 『日英交流史1600−2000』第3巻 東京大学出版会より)



工藤艦長の墓参りでもフォール卿は来日した/2008年6月8日付産経新聞

『敵兵を救助せよ!』
惠 隆之介著 草思社
命の恩人に会って一言お礼を言いたい…フォール卿の依頼で、駆逐艦「雷」を指揮した工藤艦長の足跡を追い求めた筆者入魂の一冊。残念ながら工藤艦長は既に他界しており、フォール卿との再会は果たされなかったが、本書によって日本海軍の武士道精神の実際が広く知られることとなった

『海の武士道』
惠 隆之介著 産経新聞出版
工藤艦長と駆逐艦「雷」の乗組員達の敵兵救助物語を初めて世に伝えた『敵兵を救助せよ!』の著者が、戦争の経緯、救助の舞台裏、そして日本と英国の乗組員達のその後を丹念に取材し、さらに詳細な全貌を明かしたノンフィクション。開戦初期のスラバヤ沖海戦も分かりやすく解説している


“My Lucky Life”
Sam Falle著 Book Guild Ltd
工藤艦長によって命を救われ、戦後は優秀な外交官として活躍したフォール卿が、1996年に自らの人生を書き記した自伝。本書の冒頭には、「私の人生に幸運なものにしてくれた家族、そしてその人生を救ってくれた日本帝国海軍の故・工藤俊作少佐に本書を捧げる」と書かれている。

『特型駆逐艦「雷」海戦記 一砲術員の見た戦場の実相』
橋本 衛著 光人社
艦長から水兵まで分け隔てなく強い信頼の絆で結ばれた駆逐艦「雷」の乗組員らの戦い。初陣凱歌に湧いたジャワ、火炎と砲弾の雨に打たれたソロモン、霧中の遭遇戦アッツまで克明に海戦の推移を描きつつ、勇気と実行力に富み、負けじ魂は人一倍強い下士官兵たちの胸中を伝える海戦記






「敵兵を救助せよ!」
 登場人物のプロフィール等満載の『敵兵を救助せよ!』の公式サイト



「にふぇで〜びる」様 スラバヤの友人

「極東不動産の日記」様 「敵兵を救助せよ」とリーダーシップ

「世界日報「ご愛読者通信」〜blog版」様 敵兵救助した艦長の「人間愛」

「無題・休題−ハバネロ風味−」様 駆逐艦「雷」工藤艦長

「感謝 感謝 感謝ですよね!」様 駆逐艦「雷」艦長・工藤俊作氏に感動の訳

「博士の独り言」様 武士道に学ぶ-敵兵を救助せよ!

「陸奥月旦抄」様 英国敵兵を救助した工藤<雷>艦長

「ブタネコのトラウマ」様 敵兵を救助せよ!

「反日ワクチン」様 武士道と騎士道

「ねこまんま」様 駆逐艦「雷」

「天皇陛下万歳 !!! \(o⌒∇⌒o)/」様 敵兵422名を救助した日本海軍「雷」

「長政の呟き」様 救助された元英国士官が恩人艦長の墓参で来日へ

「はみだしオヤジの起業・夢追いセレナーデ」様 工藤俊作の英断

「酒たまねぎや ura HP 旨い酒、旨い肴、日本人でよかった」様 工藤俊作

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