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敵兵救助秘話を世に広めたサムエル・フォール卿は当時、ジャワ沖海戦で撃沈された駆逐艦で砲術士官を務めていた。終戦後は英国外務省に入省し、スウェーデン大使も務め、‘Sir’の称号を与えられた名士。
フォール卿は1987年に、救助されたときの体験談を 『米国海軍協会紀要(United
States Naval Institute Proceedings)』に、「騎士道精神」と題して発表した。工藤艦長から英兵らに下された唯一の命令は、潜水艦攻撃を回避するために、夜間の甲板上での喫煙禁止だけだったと記している。だが、残念なことに、この手記を書いた同年、既に8年前に艦長が他界していた事実をフォール卿は知らされてしまう。
念願だった工藤艦長との再会は叶わなかったが、フォール卿はその後も講演や執筆を通じて、機会あるごとに「雷」の恩人らによる救助秘話を世に語り続けた。1992年にジャカルタで行われたスラバヤ沖海戦50周年記念式典でも、彼は記念講演の中で工藤艦長の功績を称え、日本武士道の実践を強調。会場からは万雷の拍手とスタンディング・オペーションが起こったという。また、1998年には英国紙『ザ・タイムズ』に、「雷」による救助劇について綴ったフォール卿の投書(下記枠内参照)が掲載された。数年前には第2次大戦終結50周年に沸いたばかりのイギリス国内で、旧日本軍批判の風潮が高まっていた最中のことだった。
2003年にフォール卿は85歳で初来日し、海上自衛隊の観艦式に出席した。その際にフォール卿は、「こんな素晴らしい観艦式に招待されて感激した。『雷』は潜水艦の脅威があったのに、数時間も留まって全員を救助してくれた。彼らは騎士道精神の具現者だ」とコメントしている。ちなみにフォール卿の搭乗艦は、防衛庁の粋な計らいで同名艦の「いかずち」
(平成13年竣工の4代目)が充てられた。尚、1996年に自叙伝 “My
Lucky Life”を上梓。その巻頭には、自身の家族と同時に日本帝国海軍少佐、故・工藤俊作に本書を捧げる旨が銘記されている。
元日本軍の捕虜として、旧敵となぜ和解することに関心を抱いているかを説明申し上げます。私の乗り組んでいた駆逐艦エンカウンターと巡洋艦エクセター、それに米国の駆逐艦ホープは、1942年3月1日に圧倒的な勢力の日本軍部隊によって撃沈されました。〔そのあと、連合軍潜水艦による攻撃の脅威があるなかで〕日本軍は救助に長時間を費やしてできる限り多くの私たち生存者を救助してくれました。エンカウンターの乗員仲間と私の300名以上の者は、重油にまみれ海中で24時間を過ごし、衰弱しきっておりましたが、救助されて日本の駆逐艦イカズチの艦上に上がると、びっくりするような歓迎を受けました。日本の水兵たちは、われわれの体に付いた重油をふき取ってくれ、そのうえ衣服、籐椅子、暖かいミルク、缶詰牛肉、乾パンを支給してくれました。やがて艦長が艦橋から甲板に降りてきて私たちに向かって流暢な英語で、こう語りかけました。「諸君は勇敢に戦った。今は日本帝国海軍の名誉ある客人である。私は英国海軍を尊敬している」。そして、艦長はこの言葉を守り、私達が、イカズチに乗艦していた24時間、これ以上ないほどの待遇を受けました。(Letters
to the Editor: Samuel Falle "The Times" 29th
April, 1998/今泉康昭訳 『日英交流史1600−2000』第3巻 東京大学出版会より) |
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