映画批評
『硫黄島からの手紙』に見る
ハリウッド映画の限界とは?


飯島瑞穂(自由主義史観研究会会員)

硫黄島の攻防戦が、当時の敵国側によって映画化される

不安と期待相半ばしながら公開を待っていたが、実際見終わってみれ ば、大きな違和感を覚えるものではなく、まずは安堵した。もちろん、当時を生きた人々が見れば、滑稽や奇異に見える箇所もあろう。だが、それは意図的に日本を貶めようとした結果だとは思えない。

分かりやすい対比でいえば、真珠湾攻撃をモチーフにしたというディ ズニー映画『パールハーバー』(ワーナー 2001)は、どうだっ たか?これは事実誤認などという生易しいものではなく、史実を歪曲し た悪意の描写に満ちていたことをご記憶だろう。その最たるものは日本 軍の爆撃機が、民間の病院や非戦闘員を狙って機銃掃射しているシーンである。言うまでもなく、それはヒロシマ・ナガサキ、東京で米軍が やったことだ。実際の日本軍は、真珠湾に停泊する軍艦その他軍事施設のみを慎重に攻撃したのである。これを意図的な捏造、プロパガンダ映画といわずに何と言おうか。

泣かない戦争映画

昭和四十年代生まれの私が、物心ついてから見た日本の戦争映画(テレビドラマを含む)には、あらかじめ大きな「縛り」があった、と思わ ざるをえない。それは、現代から戦時中にタイムスリップした人間が、徴兵を忌避して逃走しつづけ、当時の人々を弾劾するもの(『きけ、わだつみの声』(東映 1995)・『さとうきび畑の唄』(TBS 2004)など)や、戦争を始めるのは必ず「男性」であり、それを憎み、止めるのは「女性」なのだ(『華の乱』東映 1988)と植えつけ るたぐいである。つまり「反戦」「厭戦」感を導きだし、あの戦争は愚 かだったと規定しなければ、制作することが禁じられているかのよう だ。悲劇であり、愚かであり、あやまちであり、泣いて反省しなくては ならないーそれが、日本で戦争物を作る際の「お約束」である。しか し、ハリウッド映画には、そのような「縛り」はまったくないようだ。『硫黄島からの手紙』も、ことさらに「反戦」を訴えることなく、戦場 が舞台になった人物群像劇に仕上がっていた。私自身、ハンカチを数枚持って映画館に行ったが、最後まで使わずじまいであり、当初は肩すかしを食った気がした。もちろん、過酷で、切ない情景に心痛むものの、「お可哀想に」「戦争のない現代に生まれてよかった」式の他人事目線で終わらせない何かがあった。

そもそも、クリント・イーストウッド監督は、公開に先立つ『日本人への手紙』のなかで、硫黄島の戦いを理解するには、敵対した両国側の 目線から見ることが必要であったと述べている。それによれば「どちら かが正義でどちらかが悪」ではなく、双方の兵士が祖国を守るため命を 賭けたことに敬意を捧げたいという想いで撮影に臨んだのだそうだ。だが、NHKの特集番組に出演したイーストウッド監督はインタビュー に答えて、本作には「戦争には勝者・敗者の別なく、正しい戦争などな い」というメッセージを込めたとも言った。はたして、両者は矛盾しないのか、矛盾するとすれば、いずれが彼の本心であろうか。
イーストウッド監督自身が「私が観て育ったほとんどの戦争映画では、どちらかが正義でどちらかが悪だった」(プロダクションノートより) と述べているように、アメリカの制作する戦争映画は、単純化された善 悪二元論的で、屈託のないものだった。むろん、日本人とてその例外ではなく、偏見に満ちたステレオタイプで描かれていた。だが、俗に「ベ トナム戦争物」といわれる映画が続出して以降、―この戦争は正義なのか?無意味ではないのか?―と問いかけるスタンスが増えていく。

人は、義のためにならその命を捨てる。命よりも大切なものが存在すると信じたい生き物なのだ。だからこそ、イーストウッドは、本作を「祖 国のために命を捧げた人々へのトリビュート」であると言い(前出プロダクションノート)、栗林中将はじめ最後まで勇敢に戦った人間の姿を 単なる悲劇にはしなかった。観た者が思わず感謝と敬意を捧げたくなるような描き方をしていたのだ。
古今の歴史の中には、無意味な殺戮や戦闘もあっただろう。むろん可能 な限り、戦争は避けるべきである。しかしながら、現在も続くチベットやウイグル、チェチェンの人々の武力闘争まで、無意味で、正しくない、などとは誰にもいえない。だが、敵味方双方の心情を慮り、互いの義に思いを馳せることができたとき、戦争以外の解決の糸口を探りあて られるかもしれない。真摯に歴史を学んだ人間なら不可能ではないと信 じたいものである。

ハリウッド映画の限界

ところで、本作品は、日本にも大義があったことを認めながらも、大義の内実にまでは踏み込まなかった。ここがアメリカ人の制作する映画の限界であった。
言い換えれば、本作はあくまで、日米間の「太平洋戦争」の激闘を描い たのであり、日本の戦争目的をその名に明示した「大東亜戦争」としての意義にはまったく触れられなかったのである。脚本を担当したアイリス・ヤマシタは、その内情を吐露している。「このストーリーにかかわる実際の出来事と、微妙な政治的問題の間でバランスをとることにとても気を遣ったわ」。日本の主張を前面にだせば、アメリカへの批判に言及せざるを得ない。推察するに、もうひとりの硫黄島指揮官、市丸利之助海軍少将をどう扱うか、逡巡があったのではなかろうか。
市丸少将は、周知のように死の直前「ルーズベルトに与ふる書」を記し、日系ハワイ三世の部下に英訳させ、その後通信担当に委ねている。市丸は、日本がなぜこのような苦しい戦争に向かわざるを得なかったかを、冷静な筆致で書き上げた。その文書は、アメリカ各紙でも一斉にと りあげられたから、今回のプロジェクトで話題に上らないはずはない。市丸は、ペルリ来航から筆を起こし、国際社会に無理矢理引きずり出さ れた日本の艱難辛苦を縷々述べつつ、アングロサクソンによる有色人種の奴隷化を厳しく弾劾した。

日本は、欧米列強による黄禍論や経済封鎖に耐えかねて、大東亜共栄圏 を確立しようとしたが、アジアを支配していた欧米列強と利害対立を起こし、最終的には干戈を交えることになってしまった。そのことは、戦 後になって、マッカーサーも上院委員会で証言したとおりである。つまり、ハリウッド映画、極端な言い方をすれば旧敵国制作の『硫黄島 からの手紙』に抜け落ちていたのは、日本側の大義の内実であり、それは、アジアからの搾取で繁栄する白人世界に立ち向かう大東亜戦争の意義であった。

とはいえ、そこまでアメリカに求めるのは、いささか虫が良すぎるとい うものである。そこから先は、われわれ日本人が描いていくべきであ り、語り継いでいかなくてはならない。その契機を与えてくれたイーストウッド監督には、一日本人として感謝を申し述べたい。

蛇足ながら、『硫黄島からの手紙』の公開前夜、硫黄島に軍事郵便を 配達していた実在の根本少尉と市丸利之助少将を主役に据えたドラマが 放映された(『硫黄島〜戦場の郵便配達』 フジテレビ 2006)。不覚にも大泣きに泣いた。やはり、日本人制作の戦争物の「お約束」 に、はまってしまった。物語後半に、市丸少将が地下壕で「ルーズベルトに与ふる書」(※下記参照)を書いているシーンが出てくる。もしや、と期待してみ たが、その内容にはいっさい触れずじまいだった。いまだ、日本人は、あの戦いの大義を取り返してはいない。

ルーズベルトニ与フル書

日本海軍市丸海軍少将書を「フランクリン ルーズベルト」君に致す。我今我が戦ひを終るに当り一言貴下に告ぐる所あらんとす。
日本が「ペルリー」提督の下田入港を機とし広く世界と国交を結ぶに至りしより約百年此の間日本は国歩艱難を極め自ら欲せざるに拘わらず、日清、日露、第一次欧州大戦、満州事変、支那事変を経て不幸貴国と干戈を交ふるに至れり。之を以て日本を目するに或は好戦国民を以てし或は黄禍を以て讒誣し或は以て軍閥の専断となす。思はざるの甚きものと言はざるべからず。
貴下は真珠湾の不意打を以て対日戦争唯一宣伝資料となすと雖も日本をして其の自滅より免るるため此の挙に出する外なき窮境に迄追ひ詰めたる諸種の情勢は貴下の最もよく熟知しある所と思考す。
畏くも日本天皇は皇祖皇宗建国の大詔に明なる如く養正(正義)重暉(明智)積慶(仁慈)を三綱とする八紘一宇の文字により表現せらるる皇謨に基き地球上のあらゆる人類は其の分に従ひ其の郷土に於てその生を享有せしめ以て恒久的世界平和の確立を唯一念願とせらるるに外ならず、之曾ては

四方の海皆はらからと思ふ世に など波風の立ちさわぐらむ

なる明治天皇の御製(日露戦争中御製)は貴下の叔父「テオドル・ルーズベルト」閣下の感嘆を惹きたる所にして貴下も亦熟知の事実なるべし。
我等日本人は各階級あり各種の職業に従事すと雖も畢竟其の職業を通じこの皇謨即ち天業を翼賛せんとするに外ならず。我等軍人亦干戈を以て天業恢弘を奉承するに外ならず。
我等今物量を恃める貴下空軍の爆撃及艦砲射撃の下外形的には退嬰の已むなきに至れるも精神的には弥(いよいよ)豊富にして心地益(ますます)明朗を覚え歓喜を禁ずる能はざるものあり。之天業翼賛の信念に燃ゆる日本臣民の共通の心理なるも貴下及「チャーチル」君等の理解に苦む所ならん。今茲に卿等の精神的貧弱を憐み以下一言以て少く誨(おし)ゆる所あらんとす。
卿等のなす所を以て見れば白人殊に「アングロ・サクソン」を以て世界の利益を壟断せんとし有色人種を以て其の野望の前に奴隷化せんとするに外ならず。之が為奸策を以て有色人種を瞞着し、所謂悪意の善政を以て彼等を衷心無力化せしめんとす。近世に至り日本が卿等の野望に抗し有色人種殊に東洋民族をして卿等の束縛より解放せんと試みるや卿等は毫も日本の真意を理解せんと努むることなく只管卿等の為の有害なる存在となし曾ての友邦を目するに仇敵野蛮人を以てし公々然として日本人種の絶滅を呼号するに至る。之豈(あに)神意に叶ふものならんや。
大東亜戦争に依り所謂大東亜共栄圏の成るや所在各民族は我が善政を謳歌し卿等が今之を破壊することなくんば全世界に亘る恒久的平和の招来決して遠きにあらず。
卿等は既に充分なる繁栄にも満足することなく数百年来の卿等の搾取より免れんとする是等憐むべき人類の希望の芽を何が故に若葉に於て摘み取らんとするや。只東洋の物を東洋に帰すに過ぎざるに非ずや。卿等何すれど斯くの如き貪欲にして且つ狭量なる。
大東亜共栄圏の存在は毫も卿等の存在を脅威せず却って世界平和の一翼として世界人類の安寧幸福を保障するものにして日本天皇の真意全く此の外に出づるなきを理解するの器量あらんことを希望して止まざるものなり。
翻って欧州の事情を観察するも又相互無理解に基く人類闘争の如何に悲惨なるかを痛嘆せざるを得ず。今「ヒットラー」総統の行動の是非を云為(うんい)するを慎むも彼の第二次欧州大戦開戦の原因が第一次大戦集結に際しその開戦の責任の一切を敗戦国独逸に帰しその正当なる存在を極度に圧迫せんとしたる卿等先輩の処置に対する反発に他ならざりしを観過せざるを要す。
卿等の善戦により克く「ヒットラー」総統を仆すを得るとするも如何にして「スターリン」を首領とする「ソビエットロシア」と協調せんとするや。凡そ世界を以て強者の独専となさんとせば永久に闘争を繰り返し遂に世界人類に安寧幸福の日なからん。
卿等今世界制覇の野望一応将に成らんとす。卿等の得意思ふべし。然れども君が先輩「ウィルソン」大統領は其の得意の絶頂に於て失脚せり。願わくば本職言外の意を汲んで其の轍を踏む勿れ。
市丸海軍少将

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