100万人神話

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ABCテレビ “World News Tonight”の看板アンカーとして活躍したピーター・ジェニングス(2005年8月7日没)は、アメリカではタブーとされてきた原爆投下の特集に挑みました。『ヒロシマ なぜ原爆が投下されたのか』と題されたこの報道は、当時アメリカで起きていたスミソニアン国立航空宇宙博物館の原爆資料展示企画に関する大論争を受けて制作され、1995年7月27日にオンエアされました。この特集報道の中で、ジェニングスは原爆投下によって実際にどれだけのアメリカ人の命が救われたのかという問題提起もしています。原爆投下によって‘100万人’もの命が救われたと、退役軍人達を中心にアメリカでは広く信じられていたからです。

けれども、原爆投下の正当性を問われたトルーマン大統領は、「私の目的は最小限の犠牲で戦争を終えることでした。原爆の使用をためらったら、30万人の若者が死に、70万人が重傷を負っていたでしょう」と発言しています。‘100万人’の命が救われたとは言っていないのです。トルーマン大統領が軍の司令官から受け取ったどの報告書にも、100万という数字は見当たりませんでした。ジェニングスの特集では、陸軍長官だったスティムソンが、「原爆を使わずに九州上陸作戦を行った場合、25万人が戦死し、50万人が重傷を負うと予想されていた」と語っている、当時の映像も紹介されました

では、この‘100万人’という数字はどこから広まったのでしょう?当時は日本への上陸作戦に伴う犠牲者数は、さほど議論されていなかったのが現状のようです。‘100万人’という数字が初めて登場したのは、スティムソン陸軍長官が1947年に雑誌“Harper's Magazine”に発表した論文、“The Decision to Use the Atom Bomb”の中でした。

戦後になってアメリカのジャーナリスト達は広島や長崎を取材し、非難を込めて原爆投下による惨状をありのままに伝えるようになりました。そうした記事は“LIFE”誌や“New York Times”紙等に掲載され、ラジオでも「原爆投下は明らかに不要であり、アメリカは道徳的威信を失った」との放送がなされました。こうした原爆批判に対抗して、当時のハーバード大学学長で原爆開発にも関わっていたジェームズ・コナントは、スティムソンに反論声明文を書くように要請しました。スティムソンは国民に大変人気が高く、彼に原爆が必要だったとを説明させることで、投下を正当化しようとしたわけです。

けれども、実は“Harper's Magazine”の論文はスティムソンではなく、スティムソンの側近だったマクジョージ・バンディ(当時26歳)が、ゴーストライターとして執筆したのでした。ジェニングスのインタビューを受けたバンディは、次のように語りました。

「注意深く読めばわかることですが、私はあのまま戦争が続いて上陸作戦を行うことになったら、最大で100万人の死傷者が出ただろう、と書いたのです。死者ではなく、死傷者の数のことです。それは戦争が長引いた場合の、最悪の予測でした。100万人の死者が出たはずだと断言しているわけではありません」

   

歴史学者のバートン・バーンスタインは、「トルーマン大統領が運命の決断を下した時、彼が得ていた情報は、原爆の投下によって、約6万3千人のアメリカ兵の命を救うことができると語っていた」との研究結果を発表し、その数字だけでもトルーマンが原爆投下に意義を見出していただろうと感想を述べています。また、死者1万5千人ないし2万人を含む6万3千人の損耗では少なすぎるという見方が、50万や100万という数字を広めた要因の一つだろうと、NHKによる1995年の取材インタビューでもバーンスタインは語りました。

ジェニングスは特集報道の中で、「1952年、トルーマン大統領は手紙を書き、その中で推定死傷者数を100万人に変えます。そしてこの数字が歴史として定着することになりました」と結論づけています。原爆投下による広島と長崎での20万人以上の犠牲に対して、‘100万人’の命が救われたとの主張は何ら根拠のないものだったのです。

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