過ちは繰返しませぬから

原爆を語るキーワード


かねてから原爆慰霊碑の「過ちは繰返しませぬから」の主語が、何者を指しているのかという議論は実に多くありました。

極東国際軍事裁判(東京裁判)のインド派遣判事だったラダ・ビノート・パル博士は、1952年11月5日に原爆慰霊碑を訪れて黙祷を捧げた際に、「この‘過ちは繰返さぬという過ちは誰の行為をさしているのか。もちろん、日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。それがどんな過ちなのか、わたくしは疑う。ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、その原爆を落した者は日本人でないことは明瞭である。落した者が責任の所在を明らかにして‘二度と再びこの過ちは犯さぬというならうなずける。この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。その戦争の種は西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることも明瞭だ。さらにアメリカは、ABCD包囲陣をつくり、日本を経済封鎖し、石油禁輸まで行って挑発した上、ハルノートを突きつけてきた。アメリカこそ開戦の責任者である」と述べています。また、1956年2月4日、日教組第五次教育全国集会に招かれたインドのセン書記長は、「繰返しませぬではなく、繰返させませんと叫ぶべきだ」と強調しました。

この慰霊碑は広島平和都市記念碑として、1952年8月6日に序幕されました。当時の広島市長(濱井信三氏)の依頼で碑文に、この一文(安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから/Let all the souls here rest in peace; For we shall not repeat the evil.)を選び揮毫した英文学者の雑賀忠義教授は、前述のパル博士の発言に対して、「広島市民であると共に世界市民であるわれわれが、過ちを繰返さないと誓う。これは全人類の過去、現在、未来に通ずる広島市民の感情であり良心の叫びである。『原爆投下は広島市民の過ちではない』とは世界市民に通じない言葉だ。そんなせせこましい立場に立つ時は過ちを繰返さぬことは不可能になり、霊前でものをいう資格はない」と抗議しました。

1970年2月11日、岩田幸雄氏を会長とする「原爆慰霊碑を正す会」が発足され、碑文は屈辱的で20数万人の犠牲者の霊を冒涜しているとして抹消を求め、10万人署名運動が展開されました。一方、同年2月20日には、「広島県被爆教師の会」の石田 明会長らが当時の広島市長(山田節男氏)に碑文変更反対の要望書を提出。こうした論争に対して、山田市長は同年8月3日の記者会見で、「碑文は変えない」と表明し、「碑文の主語は世界人類であり、人類全体への警告、戒めである」と語りました。

1983年11月3日、慰霊碑に*日本語と**英語両文の説明板が設置され、市民の要望で正式名の「広島平和都市記念碑」に「原爆死没者慰霊碑」が付記しされました。説明板には、「碑文はすべての人びとが原爆犠牲者の冥福を祈り戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である。過去の悲しみに耐え憎しみを乗り越えて全人類の共存と繁栄を願い真の世界平和の実現を祈念するヒロシマの心がここに刻まれている」と記され、碑文論争に一つの区切りとなりました。

*碑文の日本語説明版:碑文は すべての人びとが 原爆犠牲者の冥福を祈り 戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である。過去の悲しみに耐え 憎しみを乗り越えて 全人類の共存と繁栄を願い 真の世界平和の実現を祈念するヒロシマの心が ここに刻まれている。

**碑文の英語説明版:The epitaph reads, "Let all the souls here rest in peace; For we shall not repeat the evil." It summons people everywhere to pray for the repose of the souls of the deceased A-bomb victims and to join tn the pledge never to repeat the evil of war. It thus expresses the "Heart of Hiroshima" which, enduring past grief and overcoming hatred, yearns for the realization of true world peace with the coexistence and prosperity of all humankind.

しかし、2005年7月26日には、碑文の「過ちは」の部分が傷付けられるという事件が起こりました。犯人の政治結社「誠臣塾」構成員は、「過ちを犯したのはアメリカで、慰霊碑の'過ち'という文言が気に入らなかった」と供述。ちなみに、赤い絵具で原爆慰霊碑が何者かに塗りつぶされるという事件が、1966年2月23日にも既に起こっていました。

パル博士の発言がきっかけとなった50年代の論争、被爆25周年を控えて巻き起こった70年代の論争…全ての国民が納得できる結論に至っているとは言いきれません。2000年代を生きる私達は、碑文をどのように受けとめているのでしょうか?

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