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1972年に「週刊少年マガジン」の漫画家自伝企画の第1弾として掲載された『はだしのゲン』は、作者・中沢啓治(1939年生まれ)の広島での原爆体験をもとに描かれています。被爆に際して中沢自身は建物の塀の影に入って奇跡的に助かりましたが、彼の父、姉、弟は死亡。こうした身の上からか、『はだしのゲン』は反戦色の強い作品となっています。
物語は広島に住む中岡一家を中心に、国民学校2年から中学までの少年・中岡ゲンの戦中・戦後を描いています。下駄の絵付け職人であるゲンの父・大吉が、‘日本は負ける’との戦争批判を憚らない性格だったため、中岡家は近隣の住民達からは非国民として敬遠されていました。ゲンとその兄弟は当初、こうした父の在り方に疑問を抱いたりもしますが、やがて原爆が落とされて終戦を迎えるとともに、大吉の考えが正しかったと実感。中沢同様、原爆によって父、姉、弟を失ったゲンは、母・君江と生まれたばかりの妹・友子を支えながら、原爆によって運命を変えられてしまった多くの人々との出会いを通して成長。やがて戦地と疎開先から戻った二人の兄と再会を果たすものの、友子と君江は原爆症で死んでしまいますが、知り合った原爆孤児達とたくましく戦後を生き抜くゲンの姿が描かれています。

このように、『はだしのゲン』の作中には家族愛や友情、そして生命の尊さといったテーマが据えられています。しかし、『はだしのゲン』の名声を高めた最大の要因は、子供向けの漫画でありながら、手加減なく描写された原爆投下直後の広島と被爆者の姿に他なりません。飛び散ったガラスが全身に突き刺さっている母子や、背中の皮膚がズルリと垂れ下がった男性の姿は実にショッキングで、少年・少女時代に『はだしのゲン』と出会った読者には感動作としてよりも、‘怖い漫画’として印象づいている傾向が見られます。この一点において、『はだしのゲン』は原爆を語った物語文化の秀作である事実は否めません。
1980年頃から一般の図書館のみならず、日教組の働きかけで小学校〜高校の図書室にも置かれるようになったこともあり、1960年代以降に生まれた世代の中には、『はだしのゲン』を通して初めて原爆投下の悲惨な実態に触れた方々も多いと思われます。小学校の授業で教材として使用されることもあり、余りの恐ろしい描写にトラウマになってしまったと語る方も少なくありません。原爆の悲劇と反戦を認識させるためとは言え、安易な平和学習での起用に疑問の声もあがっています。

何よりも物議をかもしているのは、『はだしのゲン』の随所に、あからさまな天皇批判や旧日本軍が行ったとされる‘蛮行’の指摘がなされていることです。原爆投下後、しばらくはアメリカに対する怒りを顕わにしていたゲンは、中学に進学してから左翼よりの平和活動をしている担任教師と知り合い、彼から多大な影響を受けます。ゲンは次第にアメリカよりも当時の日本政府、旧日本軍、そして天皇を原爆投下の原因を作ったとして声高に罵るようになり、反対意見の登場人物は常に意地悪な悪役としてしか描かれていません。中沢は戦争責任に関する主張だけを作中に盛り込んで、議論する余地を全くと言っていいほど残していないのです。

『はだしのゲン』は原爆漫画の金字塔と賞賛される傍ら、反日漫画という一面も持ち合わせています。けれども保守派においてさえ、子供の頃に読まれたために残酷な被爆者の描写しか記憶に残っておらず、
『はだしのゲン』の偏向的な内容に気づいていないケースもあります。お蔭で作者個人の自虐史観に、子供達が毒されずに済んでいるとも言えますが、故に『はだしのゲン』が国民からの非難を逃れ、教育機関御用達の推奨漫画としての地位を失わずに済んでしまっているのです。
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