広島発-資料館と反戦平和の裏

長谷川真美(新しい歴史教科書をつくる会会員)


私は広島に生まれ、広島で育った。原爆投下の爆心地から、父の実家は半径1キロ以内、母の実家は2キロ以内。父は医学生だったので、徴用を免除され8月6日当日は大学のある東京に居たという。母は学徒動員で、広島市内から少し離れた所に早朝から作業に行っていたので、二人とも直撃を免れた。それでも双方の親族の多くが犠牲となっていて、私にとって原爆のこと、核のことは人事ではない。

小学校の低学年生の頃から「原爆ゆるすまじ」の唄を覚え、白血病で死んでいった少女の話なども聞かされ、広島の子供としては普通に原爆と平和について学んで育った。それでも、なぜか記念式典には行く気がしない。原爆の日には、テレビを見ながら黙祷をするくらいだ。

8月7日、原爆の日の翌日、20年ぶりに広島平和記念資料館を訪れてみた。子供連れや、若者、外国人など大勢の人がやってきていて、熱心に展示物を見ていた。入館料は大人50円。入り口から入ると、映像で原爆を紹介する大きなスクリーンがあり、その向かい側からパネルで広島の歴史の紹介が始まっている。

驚いたことに、パネルの1枚目は広島の過去の紹介で > …一方、陸軍の諸施設が集中していき、やがて学都・軍都という二つの顔が鮮明になりました。1920年代から発展しはじめた重工業も1930年代後半には軍需工業化していきました。被爆直前には広島湾一帯は、呉の海軍とあわせて軍事的性格を強めていました。」という言葉で始まっている。

見学に訪れた人々の最初の印象に、まず広島は軍都であったと、植えつけているのだ。そして如何に広島に軍関係の建物が増えていったかを、続くパネルでダメ押しのように紹介していき、地図でその範囲を示している。(写真A参照)パネルの数は10枚以上。

これでは無辜の市民の上に投下されたというより、軍事施設を攻撃するために、原爆が投下されたといわんばかりである。いや、軍事施設があったために、無辜の市民が巻き添えを食らったというようにも感じられる。これでは「原爆を落とされて、あれで戦争が終ったんだ…しょうがない」と言った元防衛大臣のことを、非難する資格は広島市民にはないような気がする。

その他に気になった展示は、中国・韓国から強制連行された人々も被爆したということや、南京虐殺の紹介に中国側の人数を紹介していたことなどだった。

資料館の近くにある原爆慰霊碑の碑文に「安らかにお眠りください 過ちは繰り返しませぬから」と書いてあるのは有名な話である。この主語が誰であるかが何度も問題になってきた。東京裁判でも日本の立場を弁護した有名なパル博士は、広島に来たときに、「『過ちは繰返しませぬから』とあるのはむろん日本人を指しているのは明らかだ。それがどんな過ちであるのか私は疑う。ここにまつってあるのは原爆犠牲者の霊であり、原爆を落としたのは日本人でないことは明瞭。落としたものの手はまだ清められていない。この過ちとは、もしも前の戦争を指しているのなら、それも日本の責任ではない。その戦争の種は西洋諸国が東洋侵略のために起こしたものであることも明瞭である。…」と述べられたという。

それに対して、広島の公的見解は、碑文の主語は世界人類であり、人類全体への警告、戒めであるということになっている。

しかし、これはちょっとおかしい。原爆慰霊碑を建立し、碑文を考えたのは広島市である。全世界から募金をして作ったわけではない。とすると碑文の主語は広島市民あるいは日本人ということになる。実は主語が広島市民でも、世界人類でもおかしいのだ。本当は原爆を落としたアメリカが主語となり、謝るべき筋合いの話であるのに、インドの人に指摘されても、広島はうやむやにしようとしている。

それから、広島の小学生に配布される夏休み帳が、驚くほどの反戦平和教育で埋め尽くされていることをご存知だろうか。楽しいはずの夏休みが、これでもかと言わんばかりの原爆・平和特集で、気分が暗く滅入りそうになる。それというのも、教職員組合の出向先の会社がこういった夏休み帳や平和教育の副読本を作っているからだ。私はそれらの教材を手に入れるために、その会社を訪れたことがある。会社の中にはデモ行進のプラカードなどが雑然と置いてあった。明らかに左翼の平和運動団体と副教材制作会社は一体のものなのだ。

広島では、原爆は反戦平和という左翼の運動に利用され、観光から子供の教育にまでしみこんでいる。教育界は市民の立ち上がりにより、徐々に正常化されつつあるが、それでも市政は未だに左翼の牙城である。道はまだまだ遠い

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