原爆から平和教育のために

飯嶋七生(自由主義史観研究会会報編集担当)


「被爆地長崎で、平和の大切さと原爆への憎しみを語りつぎ、将来の世界につなげようとしている団体がある。このたびの本会特集にも寄稿してくださった「長崎の原爆展示をただす会」である。

長崎の原爆資料館は本島等前長崎市長の個人的見解を反映して作られた。(別記事参照)本島氏の考えによれば、ヒロシマナガサキに原爆を落とされたのは、「南京大虐殺」や「三光作戦」の報いだという(「南京大虐殺」や「三光」は事実だというのが彼の前提である)。 広島は「第五師団(広島)は凶暴なる殺人軍団」を送り出した地であり、彼らを「広島の誇り、郷土のほまれ」と讃えたからには、原爆が落とされてもしょうがないのだそうだ。  

「日中戦争、太平洋戦争を通じて、宇品港から中国大陸や南方に輸送される軍隊を見送った広島市民の「万歳万歳」の歓声は地面が揺れ動くようだった。日の丸の小旗をちぎれるようにうちふって軍隊の出撃に熱狂的に歓声の声をあびせた、としより、主婦、娘さん、中学生、女学生、学童こそ、数年のちの「被爆者」たちだった(中略)昭和20年6月国民義勇兵役法が制定され、男子15歳から60歳まで、女子17歳から40歳まで義勇兵役に服することになり、各種婦人会、大政翼賛会、勤労報国隊、警防団、隣組、町内会などで、まさに広島は戦争指揮者と戦争協力者(小学生も含む)だけであった」

(『広島よ、おごるなかれ-原爆ドームの世界遺産化に思う』平和教育研究(24) 1997)

 

「長崎では、工場で魚雷を作っていたし、造船所では軍艦を造っていた、被爆者のおおくも、ほかの市民と同じように、国と軍隊に駆り出されたとはいえ、その兵器作りに働いていた」

(『ゆるす思想、ゆるさぬ思想』本島等・山口仙二 こうち書房1992)

こうした、因果応報論が破綻していることは本特集で、数々の根拠をあげて証明されている。日本軍は真珠湾攻撃で女子供や老人を狙ったか?慎重に軍事施設だけを狙ったことは資料からも裏付けられる。プロパガンダ映画『パールハーバー』で病院が爆撃されるシーンは事実無根の創作である。長崎原爆資料館や、各地の平和記念館で展示されていた「南京大虐殺」の写真も創作であった。日華事変の際、本島氏が何をして、みずからも犯罪者だと言うのかは知らないが、南京問題も三光問題も事実として確定していない。

 

仮に不法行為があったとしても、広島、長崎の主婦や娘さんや小学生が原爆を落とされるべきであったなどという暴論は絶対に許してはならない。 にもかかわらず、因果応報論を信ずる本島市長の掛け声で作られた長崎原爆資料館は、日本の加害と残虐性を強調した結果、原爆容認論を肯定する結果になってしまった。  

なぜ、原爆という無差別爆撃がおこなわれたのか?なぜ、アメリカは、ヒロシマ、ナガサキに原爆を投下したのか?日本側の反省すべき点はどこか?戦争や外交は相手があってのこと、敵があってのことである。汝の敵を知れ、との格言どおり、相手国の意図はもちろん、自分自身の中の「敵」を見つめ、二度と原爆の被害者を出さないために、どのような教育が必要か考えてゆきたい

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