「戦争を早く終結させるため」「100万人の命を救うため」というアメリカの言い分が虚構だったことが暴露され、その本当の理由が明確になってきました。
・ソ連に対する威嚇・抑制
・新型兵器の実戦使用による人体実験のため
・約20億ドルという巨大な開発費用の回収のため
(議会・国民からの強い圧力の存在)
・アメリカ指導者の野心と人種的偏見
(木村 朗 「『正義の戦争』とアメリカ?原爆と劣化ウラン弾を結ぶもの」)

原爆が人体実験であった、被爆者をモルモットとした事実をご紹介します。
○広島大学芝田進午名誉教授、原爆の対日使用は「人体実験」
広島・長崎への原爆攻撃の目的は何だったのか。1つには戦後世界でのアメリカの覇権確立である。そしてもう1つは、原爆の効果を知るための無数の人間への『人体実験』である。だからこそ、占領後にアメリカ軍が行なったことは、第1に、原爆の惨状についての報道を禁止し、『人体実験』についての情報を独占することだった。第2に、史上前例のない火傷、放射能障害の治療方法を必死に工夫していた広島・長崎の医者たちに治療方法の発表と交流を禁止するとともに、死没被爆者のケロイドの皮膚や臓器や生存被爆者の血液やカルテを没収することだった。第3に、日本政府をして国際赤十字からの医薬品の支援申し出を拒否させることだった。たしかに、『実験動物』を治療するのでは『実験』にならない。そこでアメリカ軍は全力を尽くして被爆治療を妨害したのである。第4に、被爆者を『治療』せず『実験動物』のように観察するABCC(原爆障害調査委員会と訳されたアメリカ軍施設)を広島・長崎に設置することであった。加害者が被害者を観察するというその目的自体が被爆者への人権蹂躙ではなかったか。(毎日新聞/1994年9月6日) |
○被爆者は治療されずに調査だけされた
私は広島の生き残りのひとりです。(…中略…)ここで、ひとつ触れたいことは『ABCC』についてです。これは日本でもほとんど知らされていないことですが、戦後広島に進駐してきたアメリカは、すぐに、死の街広島を一望のもとに見下ろす丘の上に『原爆傷害調査委員会』(通称ABCC)を設置して放射能の影響調査に乗り出しました。そして地を這って生きている私たち生存者を連行し、私たちの身体からなけなしの血液を採り、傷やケロイドの写真、成長期の子どもたちの乳房や体毛の発育状態、また、被爆者が死亡するとその臓器の摘出など、さまざまな調査、記録を行ないました。その際私たちは人間としてではなく、単なる調査研究用の物体として扱われました。治療は全く受けませんでした。そればかりでなく、アメリカはそれら調査、記録を独占するために、外部からの広島、長崎への入市を禁止し、国際的支援も妨害し、一切の原爆報道を禁止しました。日本政府もそれに協力しました。こうして私たちは内外から隔離された状態の下で、何の援護も受けず放置され、放射能被害の実験対象として調査、監視、記録をされたのでした。しかもそれは戦争が終わった後で行なわれた事実なのです。私たちは焼け跡の草をむしり、雨水を飲んで飢えをしのぎ、傷は自然治癒にまかせるほかありませんでした。あれから50年、『ABCC』は現在、日米共同の『放射線影響研究所』となっていますが、私たちはいまも追跡調査をされています。このように原爆は人体実験であり、戦後のアメリカの利を確立するための暴挙だったにもかかわらず、原爆投下によって大戦が終結し、米日の多くの生命が救われたという大義名分にすりかえられました。このことによって核兵器の判断に大きな過ちが生じたと私は思っています。(橋爪
文『少女・14歳の原爆体験記』 高文研) |
○ABCC収集解禁文書で「モルモット説」裏付け
米国の原爆傷害調査委員会(ABCC)が広島、長崎の被爆者から収集した 医学データを、国防総省が将来の核戦争を想定した軍事目的の研究にも利用していた事実がこのほど、同省や全米科学アカデミーなどの解禁文書で確認された
国防総省は、核使用の際の医療対策に収集データが役立つと期待。広島、長崎のデータとビキニ環礁での原水爆実験の資料を比較し、爆心周辺で放射線から身を守るには服装をどうするか、などといった分野も研究していた。ABCC設立当初から被爆者が抱いていた「モルモット扱いしているのでは」という疑いを裏付ける
ものだ。また日本で「ABCCの研究は非人道的」との非難 が強まることを恐れた米側が、病理標本やデータ を重要機密資料として、その保護に極度に配慮していたことを示す文書も見つかった。(毎日新聞/1995年7月30日) |
広島県被団協事務局次長の近藤幸四郎氏も、「中学生の時、先生に(調査のためABCCへ)行ってくれんか、と言われた。アメリカにはとても協力する気になれず断った。モルモット扱いは、我々は前々から言っていて今さら驚かない。50年たって、ようやく証明されたかという感慨が強い」と語っています。

ちなみに、京都が文化財保護の観点から投下候補地から外されたという美談も虚構でした。原爆の投下候補地は、
1. 直径3マイルを超える都市
2.爆風により効果的に破壊できる地形を持つ都市
3.8月までに通常爆弾による爆撃を実施していない都市
という条件のもとに選ばれました。正確に原子爆弾の威力を測定するために、地形が重視されたのであって、京都が原爆投下を免れたのは偶然に過ぎません。広島・長崎が‘軍都’だったから原爆を投下されたという因果応報論も、論外となります(原爆投下候補地の選択についての詳細は、「パンプキン投下訓練」の後半に記されています)。
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