日米教科書における原爆投下記述の比較

木村日向子(自由主義史観研究会WEB担当)


アメリカはどのように原爆投下を教科書に記述しているのでしょうか?

"The American Nation"(Holt, Rinehart & Winston 1995)の教科書本文には、まず原爆の開発に関する経過が記されています(1942年から極秘裏にマンハッタン計画を進めて原爆が製造されていたこと、1945年にニューメキシコ州で人類初の原爆実験が成功したこと)。そして、引き続いて、

8月6日、エノラ・ゲイと呼ばれる米機が広島に原爆を投下した。爆弾は市の広範な部分を破壊し、7万5000人以上を死亡させた。三日後、長崎にも原爆が投下され…(中略)…二発の原爆による死亡者の総数を、日本側は放射線障害で後に死亡した者も含め24万人と見積もっている。長崎の原爆投下の前日にはソ連が対日宣戦布告し満州(中国東北地方)に侵攻、日本は間もなく降伏した

と書かれており、更に「原爆の使用」と題された解説が別枠であり、ここでは原爆をめぐる議論を次のように提示しています。

トルーマンは二つの原爆がアメリカ軍の日本上陸を回避し、何十万ものアメリカ人と日本人の命を救ったはずだと言ったが…(中略)…歴史家の中にはこの説明を疑問とする者もいる

これに加えて、日本が既に停戦を模索していたこと、原爆や上陸作戦がなくても日本は降伏しただろうという見解があること等も紹介されており、原爆投下が核時代の幕開けになったことまでもが記されています。ディスカッションを中心に展開されることで有名なアメリカの歴史教育システムに沿ってのことと思われますが、前述した山川出版の内容と比較するだけでも、一体どちらが被爆国のものなのか混乱してしまいそうです。

ただし、アメリカの全ての歴史教科書が"The American Nation"のような姿勢で原爆を取り上げているわけではありません。この教科書を発行している Holt, Rinehart & Winston社は、反核的な内容の書籍を何冊も出しているので、原爆投下へのこうした扱いは米国の歴史教育方針というよりも、出版社の方針に過ぎないと見るべきではないでしょうか。一方、"History of a Free Nation"(Glencoe-Mcgraw Hill 1994)では、

甚大な被害にもかかわらず、日本の軍部指導者は無条件降伏を拒否した。アメリカの指導部は日本への上陸が行われれば相当な抵抗を招き、100万人の命が失われるかもしれないことを心配した/人的、物的被害の程度に驚いた天皇は、国民に"耐え難きを耐え"るよう告げて、和平を乞うた

と原爆投下について記述され、別枠では原爆使用に科学者から反対意見があったことにも触れていますが、その最後はトルーマン大統領の「原爆の投下が戦争を終わらせ、数百万人の命を助けた」という発言で締めくくられています。"The United States and its People"(Addison-Wesley 1995)にも、「造船センターのあった」長崎への原爆投下によって、ようやく昭和天皇が降伏を決意したと書かれています。この二冊におけるスタンスは、戦争終結のため、より多くの人命を救うため、原爆は投下されたというものなのです。

  

ただし、原爆投下に対するスタンスはどうあれ、これら三冊の教科書は30〜34ページにわたる第二次大戦の記述において、それぞれ2〜3ページ程度を原爆の説明に割いているのです。日本とのこの差は、アメリカでは生徒達が教科書を自宅へ持ち帰ることがあまりないため、教科書の重量がさほど問題にならないということにも関係しています。紹介した三冊も全て1000ページ前後はあり、だからこそ原爆に数ページも割り当てることができるという側面も事実です。

しかし、なぜアメリカが原爆を投下したのかを、ページ数を理由に検証しない教科書を使用していて良いのでしょうか。研究家の間でも未だ議論の的になっているので、断定的に書くことは当然避ける必要がありますが、幾つかの見方があることは紹介されるべきだと思います。

日本の教科書は厳しいページ制限の中、それでも原爆の及ぼした被害については可能な限り述べていると思われます。大量破壊兵器の恐るべき威力の実態については、優先的に触れなければいけないという意識があるからでしょう。現状では、それ以外の補足説明は教師に一任されています。けれども、膨大なカリキュラムを最後まで網羅するには時間数不足となり、近代史に差しかかった段階で教師が授業内容を端折る傾向もあります。教科書に載っていないディテールが、生徒達に伝わるという保障はないのです。

日本は原爆の凄惨さを身をもって体験し、広島や長崎を中心に反戦平和を訴えてきました。これは被爆国として当然のことであり、今後も続けるべきであることは疑う余地もありません。しかしながら、'ヒロシマ'と'ナガサキ'という悲劇が起ってしまった原因を大人達が把握して若い世代に伝えなければ、同じことが繰り返されるのをどうして回避できるのでしょう。

原爆を生み出し使用した側も、それがモラル面において全く問題のない行為だとは思っていなかったはずです。予想以上だったとは言いますが、原爆の被害規模についても見当はついていたはずです。そうでありながらも、彼らがあえて原爆投下を決断した事実があったことを、肝に銘じておかねばなりません。そのような相手に、原爆の非人道性と残酷さを知らしめることだけで、同じ決断を二度とくださないよう、現実問題として説得できるのかについても考えねばなりません。

道徳的視点から原爆投下を批判しつつ、被害に関する資料によってその恐怖をアピールするだけで、果たして今後の日本を担う子供達は充分に原爆を理解できるのでしょうか?私達は今一度、教室における原爆投下の扱われ方について真剣に議論する必要があるかと思われます

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