もう一つの原爆容認論

「日本が悪かったから原爆が落とされた」という
長崎原爆資料館の展示と、
その展示コーナー閉鎖を目指す
「長崎の原爆展示をただす市民の会」の取り組み


北村芳正
(自由主義史観研究会会員・長崎原爆の展示をただす市民の会会員)


「原爆の悲惨がよく分かりました。原爆を落とさせる口実をつくらせてしまったのは、やっぱり日本でしょう。アメリカをせめるより日本をせめたいと思います。…」  

これは、平成8年4月にオープンした長崎原爆資料館のノートに記されていた見学者の手記です。  

世界で唯一の被爆国という悲劇の実相を伝え、核兵器廃絶の実現をアピールするべき「原爆資料館」が、なぜ、この手記に見られるような原爆容認論を助長する資料館となったのでしょうか。  

それは、長崎市が「原爆投下に至る歴史的背景」を展示すると称して、原爆が落とされるまでに日本が如何にアジアで悪いことをやってきたか、ということを展示するコーナーを造ったからです。  

その「日中戦争と太平洋戦争」と題するコーナーでは、全部で20分にすぎないビデオ(10テーマ)字幕で、日本の「侵略」が11ヶ所も使われて強調され、日本はドイツやイタリアと同じファシズム国家で、国民を動員して世界に戦争をしかけ、アジア各地で数々の「残虐行為」を行った、悪いのは日本だ、という一方的な断罪史観で貫かれているのです。

しかも、その「残虐行為」を示す事例として「南京大虐殺」や「従軍慰安婦の強制連行」「関東軍731部隊」など実証されてもいない事柄が、あたかも事実であるかのように紹介されているのです。

その上、この日本の「侵略と加害」を示すコーナーに使用された資料に、史実でない写真や映像が多数使用されていました。それがわかったのは、「虐殺直前連行された中国の人々」と解説された写真パネルと「いわゆる南京大虐殺」と説明されたビデオ映像が戦時中にアメリカで製作された反日宣伝映画「ザ・バトル・オブ・チャイナ」からの引用だと判明したことからでした。この映像(写真)を検証すると、日本軍人とされる兵士の服装や勲章が日本軍のものではなく、冬だというのに夏の服装をしている中国人や笑っている人、群集の中に普通に歩き回る欧米人がいるなどから、明らかに実写ではなく、アメリカが仕組んだ「やらせ」だと確かめられたのです。

長崎市は、開館から3ヶ月後にようやくこの事実を認め、今後、史実と実証できない写真や映像は展示には使用しないという方針を明らかにしました。この方針を定めた結果、今度は新たに176ヶ所もの膨大なビデオ映像が、実証性がないとして差し替えられました。

また、展示内容について、長崎市は教科書記述に基づくと説明していましたが、合わせて確認したところ、39ヶ所の解説文が、公正さを欠くとして書き改められる結果となりました。教科書記述から大きく逸脱した解説だった訳です。

つまり、長崎市は、日本の「悪行」を示す展示ならば、実証性も公正性も無視して、これでもかと並べ立てていたのです。これが被爆資料ならばとうてい考えられないデタラメぶりです。

こんな資料館が造られているとは、ほとんどの長崎市民は、開館4ヶ月前の平成8年元旦の朝日新聞に「加害を直視 常設展示へ」と題する記事が載るまで全く知りませんでした。長崎原爆資料館は、平成4年2月に新設が決定され建設が進められていましたが、その展示企画内容はすべて極秘に進められていたのです。

その極秘計画の張本人は本島等元長崎市長です。彼は、建設決定時の市長であり、開館の前年に市長選に敗れるまで、市長としてその展示内容を主導していました。彼は、極秘に進めた理由を次のように告白しています。

「私の強い信念で日本の加害、侵略を展示することにしたのです。なぜ、その展示内容をオープンにしなかったのかというと、公表すれば出来るものも出来ないからです。議会に詳細に話したりすれば、まとまるはずがない。少数者は無視するしかないと考えた」(「週刊新潮」平成8年5月23日号)

本島元市長の、このような非民主的なやり方に最初に異を唱えたのが、毎年建国記念の日の奉祝行事を主催(約3000名が参加)していた「長崎日の丸会」でした。市の建設担当者に新聞記事が事実であることを確かめると、市議会に赴いてそれまで全く蚊帳の外に置かれていた議員たちに行政へのチェック機能を果たすよう要請したのです。驚いた市議会では実態を調査し、余りに偏向した内容については改善するよう求めます。すると、それが政治家の「圧力」であるかのように報じられ、更に中国が干渉して来る、しかも長崎市が、核兵器国である中国の言いなりになって一度は改善した展示内容をまた偏向した内容に差し替える(それが前述の「虐殺直前連行された中国の人々」です)といった、てんやわんやの大騒動になったのでした。

そうした中、この原爆資料館の問題を主眼に据えて運動する市民団体が必要だという声が高まり、市民の有志が集って「長崎の原爆展示をただす市民の会」(「ただす会」)が結成されたのです。それは開館から3週間を経た4月23日でした。結成したその日に、「自虐」的な展示は原爆容認論を助長するとして「日中戦争と太平洋戦争」コーナーの閉鎖を申し入れた「ただす会」は、その後、前述の「南京大虐殺」映像のやらせをつきとめ、市に実証性・公正性のない展示はしないと約束させて大幅な展示の改善を実現しました。そして、原爆資料館運営協議会の委員推薦枠を得て、公的な発言権を持つことになりました。

その後も、1.デタラメな展示をした責任を追及する住民監査・住民訴訟を起こして敗訴はしたものの「展示の責任は長崎市にある」との判決を引き出す(それまでは責任の所在すらあいまいでした)、2.原爆不要論を表明した国際的著名人の言葉の展示を提案して実現させる、3.オランダが提案してきた「インドネシア占領展」企画が原爆容認論を含むことから長崎市の関与を拒絶させる、4.年表「南京占領、大虐殺事件おこる」の下に南京の実写写真があるのは相応しくない(写真に写る人たちは誰も殺されていない)と指摘して移動させる、といった成果を、地道な11年間の活動で挙げています。

また、この「自虐」コーナーの根拠の一つに挙げられた、毎年8月9日に読み上げられる「長崎平和宣言」の改善にも取り組んでいます。

原爆資料館開館前年の平成7年の宣言は、「私たちは、アジア太平洋諸国への侵略と加害の歴史を直視し、厳しい反省をしなければなりません。私たちの反省と謝罪がなければ、核兵器廃絶の訴えも世界の人々の心に届かないでしょう。」と、まさに原爆容認論そのものの内容でした。

翌年から「ただす会」は、原爆を容認するNGワード「侵略」「加害」「反省」「謝罪」の削除に取り組み、毎年長崎市に申し入れを続けています。その結果、平成14年から3年間はその全ての削除を実現しています(17年から「反省」が復活したので、今年も削除を申し入れています)。

しかし、そのような活動にもかかわらず、「自虐」コーナーは今も健在です。その展示内容は教科書記述から大きな逸脱は見られないようです。それは逆に、偏向した教科書内容そのままの偏向展示が続けられているということです。これが維持されているのは、コーナー閉鎖に強く反対する左翼的な被爆者団体・平和団体の影響力が長崎市では圧倒的に強いからです。それに対抗して声を挙げ行動するものは「ただす会」ひとり、という状況が続いているのです。

しかし、「ただす会」の後ろには長崎市民の良識的な声なき声がついているようです。それに応えるべく、今も長崎市に展示の改善を求め続けています。

「長崎の原爆展示をただす市民の会」:〒850-0006長崎県長崎市上西山町19-3

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