黒い雨

原爆を語るキーワード


原爆文学としてあまりにも有名な井伏鱒二の『黒い雨』は当初、1965年の「新潮」で『姪の結婚』という題名で連載されていました。『黒い雨』は井伏の釣り仲間であった重松静馬が、「子孫のために」書き残した被爆日誌(『重松日記』)を資料に書かれた小説で、1966年に野間文芸賞を受賞しています。

 

もとより、『重松日記』広島への原爆投下による被爆体験記を記している記録であったので、『黒い雨』もフィクションという形態を取りつつ、広島の惨状や原爆症に関する記述が克明に描かれています。最終的なタイトルに採用された‘黒い雨’とは放射性降下物の一種。原爆が炸裂した際に発生した泥、埃、煤等を含んだ粘り気のある雨です。この‘黒い雨’は広島市の北西部を中心に降り注ぎ、打たれた人々は二次的な被爆により、脱毛、歯ぐきの大量出血、血便、急性白血病等の放射線障害を発症しました。

物語の概要は次の通りです。広島に住む閑間夫妻と、彼らの元に身を寄せていた姪の矢須子は、原爆投下の際に被爆。矢須子は広島市内にいなかったにもかかわらず、悲運にも‘黒い雨’に打たれての被爆でした。終戦後、閑間夫妻は矢須子の嫁入り先を懸命に探しますが、既に被爆者に関する良からぬ噂が世間で流れており、「異常無し」と判を押された健康診断書を提示しても、次から次へと縁組は破談に。やがて閑間夫妻の友人知人らも被爆が原因で、一人また一人と亡くなってしまいます。自身らも同じ末路を覚悟しつつ、閑間夫妻は矢須子だけは健康体だと信じ、彼女の結婚を心から願い続けていました。けれども遂に、矢須子の身体にも異変が現れてしまうようになります。

  

以上のように、『黒い雨』のストーリーは極めてシンプルです。登場人物達は淡々と終戦後の生活を送り、原爆によって死の病床についても、大袈裟に嘆くような場面はほとんどありません。そうした‘記録’としてのスタンスを頑なに固持しているような作風がために、嘆く余裕さえも奪われてしまった被爆者の苛酷な死闘が、読む側を圧倒します。

1989年、『黒い雨』は今村昌平監督によって映画化されました。今村は、戦地で精神的な傷を負ってしまったという、『遥拝隊長』(井伏の短編)の中の青年・悠一も登場させ、彼と矢須子の心の交流を作中に盛り込みましたが、井伏小説の事の成り行きを静観するような、劇的過ぎない描写に徹しています。

実は、今村は原作には存在しない、後日談的なエピソードを映画のラストに付け加える予定でいました。この終章では、年老いた矢須子が巡礼姿で豊かになった日本を旅しています。やがて彼女は悠一と再会しますが、言葉をかけられずに無言で立ち去り、既に他界している閑間夫妻らの幻影に迎えられながら、苦渋に満ちた生涯の幕を閉じます。約40分にわたる、この今村のオリジナル・エンディングは、構想のみにとどまらず撮影も行われました。しかし、今村は悩み抜いた末に、完成していたエンディングを本編から全てカットしてしまいます。

こうして‘原作に帰る’ことを決意した今村は、容態が悪化した矢須子を乗せた救急車を見送る閑間重松が、「今、もし、向うの山に虹が出たら奇跡が起る。白い虹でなくて、五彩の虹が出たら矢須子の病気が治るんだ」というモノローグをもって、映画版『黒い雨』を終わらせました。原作も同じ言葉で締めくくられていますが、それが叶わぬ願いであることを、全篇モノクロの映画版はより強烈に宣告しています。原爆が投下されたその時から、広島の人々の生活からは色彩が消え、灰の白さと雨の黒さだけが残されたと。カラーで撮影されたオリジナル・エンディングの使用を中止したのも、こうした残酷な運命を強調するためだったのかもしれません。

井伏の『黒い雨』にも、今村の『黒い雨』にも、反戦平和を登場人物がダイレクトに主張する箇所はほぼありません。思想の押し売りをしない二つの『黒い雨』は、原爆と戦争について偏見の介入なしに考えさせてくれる傑作なのです。

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