黙殺?

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1945年7月26日に出された*ポツダム宣言に対して、28日に鈴木貫太郎首相は記者会見で、「我が国政府は、この宣言を何ら価値のあるものだとは認めない。したがって、ただ黙殺するのみである」と返答しました。この声明をもってアメリカは日本に降伏する意思がないものと判断し、その結果として原爆投下が決定されたという通説があります。これは後年、7月25日付けの原爆投下命令書が発見されたことで否定されますが、未だにアメリカ、そして日本でも、この通説を信じている人々が大勢います。

*ポツダム宣言:米・英・中の3カ国が日本に占領方針を示し、無条件降伏を迫ったもの。軍国主義勢力の排除、連合国による日本占領、カイロ宣言の履行、日本の主権を本州・北海道・九州・四国および連合国が決める諸小島に制限すること、軍隊の武装解除、戦争犯罪人の処罰、民主主義・基本的人権の確立等、全13項目からなっている。

アメリカでは鈴木首相の使った「黙殺」という言葉は‘ignore’と翻訳され、日本がポツダム宣言を「無視」する意向であると受けとめられました。しかし、鈴木首相の発言を、額面どおりに解釈するべきではないと多くの研究家は主張しています。
1950年11月、河合一雄は著書『黙殺‐ポツダム宣言に対する日本の反応』の中で、次のように述べています。

「‘黙殺’とは、‘沈黙を守る’‘論評を差し控える’あるいは‘無視する’と大雑把に翻訳できる。‘論評を差し控える’というのがおそらく元の意味に最も近く、何事かが秘密にされている、何事か重大なことが差し迫っているというような意味が含まれる。日本政府の意図がそこにあったことは疑いない」

河合は、見定めが極めて難しかった状況下において、日本政府が立場を鮮明にすることを避けるために「黙殺」という表現を用いたと指摘しています。つまり、‘降伏しない’と公言しているわけではないというのです。アメリカのロバート・C・バトウも、1954年に著書『日本降伏の決断』で、「黙殺」には文字通りの‘黙って殺す’から、‘関心を示さない’‘無言の軽蔑によって対処する’等の様々な意味があり、東郷茂徳外務大臣が、「連合国の宣言に日本は‘回答’せず、ただ(和平の仲介を交渉中の)ソ連の意図を確かめることに甘んじるべきだ」と、27日午後2時からの定例閣議で述べて出席者の賛同を得ている事実をも指摘しています。

日本に降伏する心積もりがあったことを裏付ける要素は、何も言葉の解釈だけに限ったものではありません。ガー・アルペロビッツは著書『原爆投下決断の内幕』の中で、日本の姿勢を示す一つの指標として、当時の東京株式市場の動向を次のようにあげています。

「市場は開戦以来、休眠状態が続いていたが、ポツダム宣言が発表された翌日に活発な取引が展開され、8月2日には平均株価が3ポイントの上昇を記録している。日本の経済界首脳が一般に内部情報に通じていることはよく知られていた。そして、株価の上昇が目立ったのは、ビール、たばこ、紙、繊維といった平時の消費者向け産業だった」

河合も株式市場のこうした変化にも触れており、「ポツダム宣言の発表によって、平和が近く実現するという期待が目に見えて高まったのである」と結んでいます。しかし、ポツダム宣言に対する日本国内のこうした受けとめ方とは対照的に、日本政府が‘言いたかった’ことではなく、‘言ったこと’に基づいて、連合軍は「黙殺」声明を降伏提案に対する‘拒絶’と見なしてしまいました。「我が国はこの戦争に勝利を収めるべく断固として遂行する」と続く、鈴木首相の発言を考慮した場合、無理のないことだったのかもしれません。日本語に通じている専門家でも、幾通りにも解釈できる「黙殺」という言葉は、文脈の流れからしか内容を判断されざるを得ない特徴を持っています。

しかし、アメリカは一方で既に日本側の電文を傍受しており、日本が終戦を望んでいることは明白でした。モスクワ駐在の佐藤尚武大使宛てに、東郷外務大臣が‘戦争を終結させるにあたって唯一の障害は無条件降伏である’と述べていることも解読済みでした。また、“The Washington Post”紙や“Newsweek”誌をはじめとする様々な媒体でも、鈴木首相の声明を‘拒絶’とは受け取れないとする記事が掲載されました。 “Army and Navy Journal”誌は、次のように論じています。

「最後通牒が真剣に検討されれば、首相からそのような声明が発表されるのは予想されたことである。日本が、あるいはどんな国であれ日本と同じ立場に置かれれば、最後通牒の検討、また、提示された条件の持つ意味合い、例えば敗戦国日本において、連合国指導者の署名した宣言では言及されていない裕仁天皇の地位はどうなるのかについて、もっと明快に確かめるために、しかるべく努力していることを明かさないというのは理の当然であろう」

少なくとも、原爆投下がなければ日本は降伏しなかったという見解は、「黙殺」という一語によって裏付けられるものではありません

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