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2007年6月30日、当時の防衛相だった久間章生氏は、千葉県柏市の麗澤大学での講演にて、「長崎に落とされ悲惨な目に遭ったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で、しょうがないなと思っている。それに対して米国を恨むつもりはない」と、原爆投下について述べました。久間氏は更に、米国が旧ソ連の日本への参戦を食い止めるため原爆を投下した側面があるとの見方を示し、「日本が負けると分かっているのにあえて原爆を広島と長崎に落とし、終戦になった。幸い北海道が占領されずに済んだが、間違うと北海道がソ連に取られてしまった」と指摘。また、「勝ち戦と分かっている時に原爆まで使う必要があったのかどうかという思いは
今でもしているが、国際情勢、戦後の占領状態などからすると、そういうことも選択 としてはあり得るということも頭に入れながら考えなければいけない」と述べました。
マスコミはこれらの発言を大々的に取り上げ、国民は‘原爆を容認した’とされる久間氏の発言に衝撃を受け、多くの被爆者や平和団体が強く抗議しました。その結果、久間氏は翌月に引責辞任。その直後にアメリカ政府で核不拡散を担当する特使を務めるジョゼフ前国務次官が、「さらに何百万人もの日本人の命を奪うところだった戦争を終結させることができたというのは、ほとんどの歴史家が同意するところだ」とアメリカ国務省で行った記者会見で述べて、原爆投下によって結果的に多くの日本人の命を救ったという認識を示しました。これらの騒動は国内外で、ちょっとした原爆投下論争の火付け役となりました。

しかし、原爆に関して公人が容認するかのような発言をしたのは、何もこれらが初めてではありません。
1979〜95年にかけて長崎市の市長を務めた本島
等氏は、1998年8月の産経新聞によるインタビューで、「米国やアジア太平洋諸国は原爆投下を『正しかった』『天罰だ』『救世主だった』と思っている。確かに、日本がアジア太平洋戦争などで行った数々の悪魔の所業を思うと、原爆投下は仕方なかった、やむを得なかった、と言わざるを得ない。東京大空襲や沖縄戦も同じだ(…中略…)1996年に国際司法裁判所は核兵器の使用を『一般的には違法』と判断したが、それまでは規定はなかった。当時の原爆は今の核兵器と比べれば、おもちゃのようなもので、通常兵器と変わらない。原爆による死を残酷だというが、南京大虐殺や三光作戦による死もすさまじい」と語っています。

また、河野洋平衆議院議長は2005年8月6日の平和記念式典スピーチにて、「この(広島平和公園の慰霊碑にある)‘過ち’とは何でしょうか。一つは、わが国、日本が明治維新以後、60年前の原爆投下の日まで、アジアの中で針路を誤り戦争への道を歩んだことであると思います。(…中略…)わが国にもアジア諸国の独立運動に連帯し、支援を惜しまない人々がいたことも事実ですが、日本が国家として選んだのは別の道であり、その道を国際社会を敵に回して歩んだ帰結の一つが、原爆の投下だったのです」と発言しています。
本島氏も河野氏も、これらの発言がもとで辞任するようなことはありませんでした。

久間氏の‘しょうがない’発言と本島発言や河野発言は、一体何が違っていたのでしょう?一つはマスコミの報道の仕方でした。久間氏の発言は、年金問題で与党政権に憤慨していた国民の怒りを更に煽るかのように、連日報道され続けました。それに対して本島氏の発言は産経新聞の記事中にのみとどまり、河野発言に関しても産経新聞のみが批判的に報道した以外は、目立って取り沙汰されることがありませんでした。原爆投下をアメリカの軍事戦略として‘容認’した久間発言よりも、未だ研究者の間で真偽が議論され続けている‘南京大虐殺’等を理由に原爆投下を‘容認’している本島・河野発言の方が、余程悪質だと感じられるにもかかわらずです。こうした不公平な報道姿勢が‘しょうがない’発言の裏に潜んでいたことを、私達は再認識しなければなりません。
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