原爆投下を告発した米国人

吉川重治(『教科書が教えない歴史』執筆者)


「勝者の裁き」であった東京裁判においては、戦勝国の戦争犯罪は基本的に追及されることはありませんでした。

ところが、法廷で広島、長崎に原爆を投下したアメリカの戦争責任が追及されるという事態が起こったのです。それも日本人によってではなく、原爆投下国であるアメリカの弁護士によってです。そのアメリカの弁護士はベン・ブルース・ブレークニーといいます。

東京裁判でイギリスやアメリカの法律や英語に不慣れな日本人弁護士たちを補佐するためアメリカ人弁護士たちが、日本人被告の弁護に当たりました。その一人であるブレークニーは1947年(昭和22年)3月3日、「原子爆弾という国際法で禁止されている残虐な武器を使用して多数の一般市民を殺した連合国側が、捕虜虐待について日本の責任を問う資格があるのか」とただしたのです。

連合国側はあわてました。

ウェッブ裁判長は「仮に原子爆弾の投下が国際犯罪であるにしても、アメリカがそれを行ったということは、本審理といかなる関係もない」と述べ、ブレークニーの発言を無視しようとしました。

しかし、ブレークニーは引き下がりません。「日本はその非法なる原爆投下に対して報復する権利を持つ。報復の権利は国際法の認めるところである」と応戦しました。

このため裁判長もついに、原爆投下以降、終戦に至る3週間の捕虜虐殺については、日本の責任を問わないことを言明したのです。

ローガン弁護人も徹底してアメリカの戦争責任を追及しました。1948年(昭和23年)3月10日の最終弁論において、連合国側、特にアメリカがいかに経済的・軍事的に日本を追い込んだのかを論証したローガンは、大東亜戦争(太平洋戦争)は連合国の不当な挑発によって引き起こされたのであるとし、こう法廷で訴えました。「日本の攻撃が自衛手段でないと記録することは実に歴史に一汚点を残すものであります」。

アメリカ人弁護士はこのほかにもスミス、ファーネス、ブルナン等20人いました。彼らはそれぞれ、自分たちがアメリカ国民であることを決して忘れはしませんでした。しかし、弁護の必要から日本の立場を深く知るに至り、日本が侵略戦争をしたわけではなかったという風に理解し、正義を守る弁護士の面目にかけて日本を擁護したのです。

ローガンは東京を去るに臨んで日本の全被告に対して次のように挨拶しました。

「わたしは最初日本に着いたときには、これはとんでもない事件を引き受けたものだと、後悔しないでもなかった。しかるにその後、種々調査、研究をしているうちに私どもがアメリカで考えていたこととは全然逆であって、日本には20年間一貫した世界侵略の共同謀議なんて断じてなかったことに確信を持つにいたった。したがって起訴事実は当然、全部無罪である」。

東京裁判がいかに不正義な裁判であったのかを明らかにしたこれらアメリカ人弁護士たちの功績は絶大なものがありました

※この記事は、藤岡信勝・当会著『教科書が教えない歴史』第2巻(扶桑社刊)からの抜粋です。

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