完全に破綻した大江健三郎の論理

『WiLL 1月号掲載


藤岡信勝(自由主義史観研究会代表・拓殖大学教授)

●赤松隊長の渡嘉敷島訪問

11月9日の朝、私は大阪地方裁判所の前庭にいた。そこには、私を含めて693人の人々が、裁判の傍聴券を求めてロープで仕切られた一角に固まっていた。  傍聴席は65席しかないから倍率10倍の狭き門である。10時に当選番号の発表があり、私は一番違いではずれ券だったが、原告支援グループの方々から当選券を譲っていただき法定内に入ることが出来た。  

この裁判は、沖縄戦で住民に集団自決を命じたなどという虚偽を著書に記載されて名誉を傷つけられたとして、旧日本軍の元少佐・梅澤裕氏(90歳)と元大尉・赤松嘉次氏(故人)の実弟・赤松秀一氏(74歳)が、作家の大江健三郎氏(72歳)と岩波書店を相手取り、大江氏の著書『沖縄ノート』などの出版差し止めや損害賠償を求めた訴訟である。名付けて「沖縄集団自決冤罪訴訟」。

12回目の公判に当たるこの日は、大阪地裁(深見敏正裁判長)で原告・被告双方の本人尋問が行われる、この訴訟のクライマックスであった。午前に梅澤氏、午後に赤松氏と大江氏の証人尋問が行われた。以下は、その裁判の傍聴記であるが、私は大江氏の論理の破綻を見届けることができたと思っている。  

『沖縄ノート』は、1969年から70年にかけて雑誌『世界』に連載され、70年9月に岩波新書の一冊として発行された。70年4月に執筆されたその最終章に、渡嘉敷島の陸軍第三挺進隊長だった赤松嘉次大尉のことが書かれている。  

最終回執筆直前の3月に、赤松隊長が渡嘉敷島を訪問しようとした際、那覇空港に「渡嘉敷島の集団自決、虐殺の責任者、赤松来県反対」の横断幕を掲げた抗議団が待ちかまえ、赤松氏を取り囲んで「赤松帰れ!」「人殺し帰れ!」「県民に謝罪しろ!」と口々にののしり、赤松氏が立ち往生する出来事があった。大江氏は「ノート」を締めくくるのに、またとない材料を得たと思っただろう。

沖縄タイムス社の『鉄の暴風』(1950年、朝日新聞社刊)に書かれた赤松隊長命令説の神話をまともに信じ込んでいた大江氏にとって、これほどの悪逆非道な行為を行った人物が、その犯罪の現場に平然と出かけるなどということは到底考えられないことである。  

どうして自分と同じ一人の人間にそのようなことが可能なのか。その心理プロセスとはいかなるものか。これはなかなか興味ある思考素材ではないか。かくて、大江流「想像力」の出番となる。


●「犯罪者心理」の想像的再現  

大江氏が手がかりとしたのは、赤松隊長が語ったという「おりがきたら」という言葉である。「僕が自分の肉体の奥深いところを、息もつまるほどの力でわしづかみにされるような気分をあじわうのは、この旧守備隊長が、かつて《おりがきたら、一度渡嘉敷島にわたりたい》と語っていたという記事を思い出す時である」と大江氏は書いている。  

人間の記憶はいかにおぞましく恐ろしいものでも時とともに次第に軽減していく。大江氏は赤松隊長についてその心理の想像的再現を試みる。  

《慶良間の集団自決の責任者も、そのような自己欺瞞と他者への瞞着の試みを、たえずくりかえしてきたことであろう。人間としてそれをつぐなうには、あまりに巨きい罪の巨塊のまえで、かれはなんとか正気で生き伸びたいとねがう。かれは、しだいに希薄化する記憶、歪められる記憶にたすけられて罪を相対化する。つづいてかれは自己弁護の余地をこじあけるために、過去の事実の改変に力をつくす》  

大江氏は、赤松隊長が戦後25年間、記憶が風化し、大江氏の言う「自己欺瞞」と「他者への瞞着」が成功するタイミングを計っていたかのように描き出す。「かれは沖縄において、いつ、そのおりがくるかと虎視眈々、狙いをつけている」とまで書く。そして、「あの渡嘉敷島の『土民』のようなかれらは、若い将校たる自分の集団自決の命令を受け入れるほどにおとなしく、穏やかな無抵抗の者だったではないか」と赤松隊長の「内面の声」に語らせるのである。  

ところが、ここでは論証を省略するが、赤松隊長は集団自決の命令など出してはいなかった。大江氏の右のような「犯罪者心理」の想像的再現は、まったくの虚構の上に立った蜃気楼であり、大江氏の一人芝居にすぎない。  

しかし、身に覚えのない当人にとっては、たまったものではない。赤松隊長は残酷な命令を出して無辜の島民の多数を強制的に死なせながら、みずからは生きのびた非道で卑劣な人物であると読者は認識するであろう。原告側の準備書面は、「原告赤松(秀一氏=引用者注)は、かかる赤松大尉の人格を冒涜し尽くす故なき誹謗表現により、実兄である赤松大尉に対して抱いていた人間的な敬愛追慕の情を著しく侵害されたものである」と述べている。


●大江氏、表情変わらず  

大阪地裁民事法廷では、午前に梅澤隊長の証人尋問が行われたあと、午後、大江氏の尋問に先立って、赤松隊長の実弟・赤松秀一氏の尋問が行われた。  

原告側代理人(弁護士)の質問に答えて、赤松氏はよく通るしっかりした声で答えた。13歳年が違う兄は、尊敬の対象だった。ところが、学生時代に、たまたま大学の本屋で『鉄の暴風』を買って読んだ。その時の感想を聞かれ、赤松氏は、「そりゃショックだ。329人を殺した大悪人と書かれていた」と答えた。ショックのあまり、赤松秀一氏は大学の友人の下宿に転がり込んだほどだったという。  

以下、主尋問の一部をピックアップし、産経新聞が主催するイザ・ブログに掲載されている記録から引用する。  

原告側代理人(以下「原」)「『鉄の暴風』にはお兄さんが自決命令を出したと書かれているが」  
赤松氏「信じられないことだった。兄がするはずもないし、したとは思いたくもない。しかし、329人が集団自決したと細かく数字も書いてある。なにか誤解されるようなことをしたのではないかと悩み続けた。家族で話題にしたことはなかった。タブーのような状態だった」  
原「(曾野綾子著『ある神話の背景』にある)大江氏の『沖縄ノート』の引用を見て、どう思ったか」  
赤松氏「大江さんは直接取材したこともなく、渡嘉敷島に行ったこともない。それなのに兄の心の中に入り込んだ記述をしていた。人の心に立ち入って、まるではらわたを火の棒でかき回すかのようだと憤りを感じた」  

私はこの時、被告側の弁護士たちの後ろの席に座っていた大江氏の表情の変化を観察した。大江氏は微動だにせず、全く表情を変えなかった。  

赤松氏の証言からは、敬愛する実兄の人格を誹謗されたことに対する強い静かな怒りが伝わってきた。


●個人ではなく軍のせい

午後1時50分ごろ、大江健三郎氏が証言台にたち、証人尋問が始まった。主尋問では『沖縄ノート』の三つのテーマについて延々と自説を展開した。正直なところ、この部分は退屈で眠気を誘うものだった。大江氏の独演ともいうべき長い話が終わると、尋問はこの裁判の争点に関わる核心部分に進んでいった。  

被告側代理人(以下「被」)「『沖縄ノート』では、隊長が集団自決を命じたと書いているか」  
大江氏「書いていない。『日本人の軍隊が』と記して、命令の内容を書いているので『〜という命令』とした」  
被「日本軍の命令ということか」  
大江氏「はい」  
被「執筆にあたり参照した資料では、赤松さんが命令を出したと書いていたか」  大江氏「はい。沖縄タイムス社の沖縄戦記『鉄の暴風』にも書いていた」  
被「なぜ『隊長』と書かずに『軍』としたのか」  
大江氏「この大きな事件は、ひとりの隊長の選択で行われたものではなく、軍隊の行ったことと考えていた。なので、特に注意深く個人名を書かなかった」

被告・大江側の訴訟戦略はこの短い引用からでも明瞭に分かる。この裁判の争点は、「被告は『沖縄ノート』で隊長命令説という虚偽を書いて原告の名誉を侵害したか」というものである。「人間の立場を超えたリンチ」(曾野綾子氏)と表されるほどのすさまじいあの人格非難の言葉が名誉毀損にあたることは常識的に考えて免れようがない。大江氏はどういう立場に置かれているか。一方で大江氏は、『沖縄ノート』に書いたことが虚偽ではない、と主張しなければならない。被告としては「訂正」の必要を認めるわけにはいかない。  

とはいえ、隊長命令説を証明することは絶望的に難しい。また、他方で、被告は著書に書いたことが名誉毀損には当たらないと主張しなければならない。このようなアクロバットのようなことを要求されているのである。そこでどうするか。被告側に遺された道はただ一つ、『沖縄ノート』が赤松隊長個人の命令と責任を糾弾したのではなく、日本軍全体のあり方を問題にしたのだと主張することである。  

それによって記述は正しいという真実性の主張と、名誉毀損には当たらないという評価に関する主張の両方を二つながらに満たし得る作戦が成立するのである。


●「時限爆弾としての命令」?!  

ところで、裁判は現実の政治や社会の動向と無関係でいることはできない。今年の3月、文科省は、高校日本史の教科書検定で、「日本軍による命令・強制」を意味する言葉を修正。削除させた。  

従来、教科書に「軍命令」説が書かれて来たのは、座間味島・渡嘉敷島における集団自決が隊長命令によるものだったという『鉄の暴風』以来の「隊長命令説」が唯一の根拠だったのだが、検定に反対する左翼勢力は、さすがに「隊長命令説」を主張しても勝てる見込みがないと考え、論点をすり替えてきた。それが、「隊長命令はなかったかもしれないが軍命令はあった」という、変形された「軍命令説」である。

こうして、裁判で敗訴を免れようとする大江・岩波サイドの要求と、歴史教科書への「軍命令・強制」記述の復活を目論む左翼運動の要請とがシンクロすることになった。この両者の要請を理論化したのが、大江氏の「タテの構造の総体による命令」という新概念である。大江陳述書から長い一文を引用する。  

《集団自決について「命令された」と私が括弧つきで書いているのは、これまでも明示してきた私の「命令」という言葉の意味づけ、それが日本軍ー第32軍ーそして慶良間列島の二つの島の守備隊というタテの構造によって、沖縄の住民たちに押しつけられたものであり、直接には二つの島に入って来た日本軍によって、多様なかたちでそれが口に出され、伝えられ、手榴弾の配布のような実際行動によって示された、その総体を指すということ、その構造的な日々の積み重ねが島民のなかに浸透していなければ、集団自決が、ついにその時が来たという島民の窮地での認識にいたり、それが実行されることはなかったこと、そのきっかけをなす「命令」の実行の時はいまだ、という伝達がどのようになされたのであれ(多くの語り伝えがありますが)、一片の命令書があるかないか、というレベルのものではないことを強調するためでした》

つまり、「命令」とは第一義的には、日本軍の「タテの構造」総体による積み重ねのことであり、第二義的には、赤松隊長が「このタテの構造の先端にある指揮官」として、集団自決に直接責任があったということを意味しており、一片の命令書の有無の問題ではないというわけである。  

大江氏は、「最後の時」における集団自決の実行は、すでに装置された「時限爆弾としての『命令』」であったとも説明している。


●解釈は読者に委ねられる

大江氏は右の議論の補強を兼ねてもう一つの論点を持ち出した。『沖縄ノート』に、赤松隊長について「じつのところ、イスラエル法廷におけるアイヒマンのように、沖縄法廷で裁かれてしかるべきであったろう」(213ページ)という一節がある。ナチスドイツによるユダヤ人虐殺の中心人物で、イスラエル法廷で絞首刑に処せられたアドルフ・アイヒマンと同じ刑罰を求めたと読めるこの下りは、被告側に極めて不利な部分である。それを言い逃れなければならない。

『沖縄ノート』は、ハンナ・アーレントの『イエルサレムのアイヒマン』(みすず書房、1969年)に言及している。この本には「悪の陳腐さについての報告」という副題がついている。

ユダヤ人に対するあれほどの大罪を犯したアイヒマンは悪逆な人物と想像されるかも知れないが、実際は一介の下僚にすぎず、小心な平凡人にすぎなかったというのがアーレントの論点の一つである。

主尋問で被告側代理人が「赤松さんが陳述書の中で、『沖縄ノートは極悪人と決めつけている』と書いているが」と質問したのに対し、大江氏は、「普通の人間が、大きな軍の中で非常に大きい罪を犯しうるというのを主題にしている。悪を行った人、罪を犯した人、とは書いているが、人間の属性として極悪人、などという言葉は使っていない」と答えた。大江氏は、これによって自分は隊長個人の資質を問題にしたのではないから、個人に対する名誉毀損にはあたらないと弁解したわけである。

また、大江氏は、アイヒマンが自ら絞首刑になることによってドイツ青年の罪責感を取り除いてやろうとしたとし、日本青年には罪責感がないことを問題にしたのである、と独特の解釈を披瀝した。

しかし、日本とナチをいっしょくたにするのは甚だしい誤りである。そもそも赤松隊長も日本軍も、いかなる意味でもナチと比肩されうるような罪を犯していない。だから、この話題は根本的に的はずれなのである。  

右に記したように『沖縄ノート』の一節は、「赤松大尉はイスラエル法廷で絞首刑になったアイヒマンのように、沖縄法廷で裁かれて絞首刑になるべきであった」と理解するのが標準的な読みである。  

作者が自己の作品についてあれこれ弁解的な解釈をして見せても説得力はない。作品は作者から独立した存在であり、読者の解釈にゆだねられるべき存在であることは今日の文芸学の常識である。


●大江氏の後知恵

休憩後行われた反対尋問で、原告側代理人は、「アイヒマンのように絞首刑に処せられるべきだ」と読むのは間違いなのかと質問した。大江氏は、「あなたが一般の読者の代表としてそう読むとは思わなかった。ショックを受けた」と大げさに驚いて見せた。傍聴席から思わず失笑が起こり、裁判長が注意する一駒があった。  

もう一度繰り返すが、この裁判の争点は、「被告は『沖縄ノート』で隊長命令説という虚偽を書いて原告の名誉を侵害したか」である。  

これについて、被告・大江側の基本的な対応戦略は、「タテの構造の総体による命令」という新概念を提示し、そこから様々な解釈を導き出して、「原告の名誉を侵害していない」と主張することだった。これは成功したか。私の判断は、被告側の戦略は完全に破綻した、というものである。その理由を以下に述べる。  

第一に、「タテの構造」などという言葉は、この裁判のために大江氏が考えた後知恵であり、『沖縄ノート』には、書かれていない。訴訟の対象となっているのは『沖縄ノート』であって、大江氏の今の考えではない。反対尋問で原告側代理人が「『沖縄ノート』には(「タテの構造」ということは)書いてないですね」と質問したのに対し、「このことは書いていません」と大江氏は答えた。

第二に、主尋問では、先に引用したとおり、被告側代理人が「『沖縄ノート』では、隊長が集団自決を命じたと書いているか」と質問し、大江氏が「書いていない」と答えている。しかし、これは嘘だ。大江氏は『沖縄ノート』に、赤松隊長の「内面の声」として、「若い将校たる自分の集団自決の命令を受けいれるほどにおとなしく、穏やかな無抵抗の者だった」(211ページ)と書いているからである。

第三に、「命令」概念の途方もない恣意的拡張解釈によって成り立つ「タテの構造」論は、詭弁的空論に過ぎない。大江氏の言っていることは一見もっともらしいと思う人もいるかもしれないが、それが詭弁であることは次のように考えれば直ちに明らかになる。  

当時の日本では、沖縄だけではなく、日本中が民間人もいざとなれば命を捨てる覚悟で敵と戦わなければならないと思っていた。大江氏の流儀で行くと、日本中が「命令」されていたことになる。

この「命令」に一番責任があるのは多分朝日新聞あたりであろうが、それはともかく、こういう言い方をしていくと、学校における教育も「命令」であり、新聞の報道も「命令」であり、家庭における父母の言動も「命令」である。大江氏自身が、占領軍のつくった教科書と憲法によって意識を支配されているから「命令」されていることになろう。

要するに人間の心構えや意識や規範に影響を与えるものは大江氏によればすべて「命令」になるのであって、いかにノーベル賞作家大江健三郎氏の名声と影響力をもってしても、このような日本語の語彙に人工的改変を加えることは不可能である。自分が裁判で勝訴するという私益のために民族語を破壊するなど、最も文学者のやってはいけない行為である。


●不作為までが命令に

第四に、赤松隊長の「命令」についても、具体的事実に突き合わせると、とんでもない愚論が生じることが暴露された。大江氏によれば、赤松隊長が行った「集団自決の命令」とは、「タテの構造」によって「命令」され、「時限爆弾」として仕掛けられた起こりうるかも知れない集団自決を、積極的に止める命令を下さなかったという「決断」が、隊長の「命令」であるというものである(大江陳述書)。ご覧の通り、ここではついに大江氏によって「不作為」までが「命令」にされた。

そこで、原告側代理人は「集団自決を止めるべきだったのはいつの時点か」と質問した。それに対し、大江氏は「『そばに来るな。どこかに逃げろ』と言えばよかった」と答えたのである。このような「命令」を発しなかったことが、「およそ人間のなしうるものと思えぬ決断」(『沖縄ノート』212ページ)だということになるのだから、あまりの愚論に笑ってしまう。

第五に、大江氏は、根本的に矛盾した要求を赤松隊長に行っている。一方で、大江氏は、住民の集団自決は、日本軍ー32軍ー海上挺進隊という「タテの構造」による「命令」であったという。

それが本当に「命令」であるのなら、それに背くことは渡嘉敷島の戦隊長である赤松大尉にはできるはずがない。背けば抗命罪に問われる。他方で、大江氏は、赤松隊長に命令の発出について裁量の自由があったことを前提にして、「そばに来るな。どこかに逃げろ」と言わなかったことを糾弾する。大江氏は絶対的に相反することを要求するという論理矛盾をおかしているのである。

集団自決をどうしても「軍命令」と結びつけて教科書を再訂正させたい左翼勢力は、32軍の幹部があれこれの訓辞をしたというようなことを「軍命令」の根拠にしているが、それと同じ論理に立って逃げようとした被告側の戦略は、法廷という場で完全に破綻したのである。

裁判所が日本語の語彙の意味を正しく守りさえすれば、当然ながらこの裁判は原告勝訴で結着すると私は確信している。

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