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特集
韓国・北朝鮮に謝罪は必要なのか?

Q&A
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Q&A:民族独立運動の象徴、3.1独立運動とは?
<質問>
日本の朝鮮統治が苛酷だった例として、3.1独立運動がよく引き合いに出されますが、どのような運動だったのですか?
<回答>
1919年3月1日朝鮮で発生した独立運動です。3月から4月にかけ朝鮮全土に吹き荒れました。
その前年第一次世界大戦の講和会議がヴェルサイユで開かれ、アメリカ大統領・ウィルソンは民族自決を主張しました。それに啓発された朝鮮人留学生は、1919年2月8日東京で決起大会を開き、「2.8独立宣言」を発表しました。
この動きは朝鮮にも伝わり、各地で密かに計画が進められました。折から前皇帝高宗の国葬が3月3日ソウルで開かれる事になりました。この高宗の死が日本の毒殺とのデマが流れたため、一層反日の気分が拡がりました。3月1日この国葬に集まった大勢の民衆の前で独立宣言書が読み上げられ、一斉にデモ行進に移りました。独立万歳を叫びながらデモ行進をしたことから、万歳事件とも呼ばれています。
このデモはソウルの他、同じ3月1日に平壌など6カ所で行われました。事前に全国組織で計画されていた事が分かります。この動きは全朝鮮に拡がると共に、過激化して村役場・警察署・学校等を打ち壊し、焼き討ちする等の暴挙に変質しました。この動きは3月下旬から4月上旬にかけ、ピークとなりましたが、日本軍の増援と弾圧により、5月にはほぼ平定されました。
<質問>
大変多くの人が参加し、犠牲者を出したと言われますが、どうだったのですか?
<回答>
この運動の参加者数・犠牲者数について、韓国の教科書のみならず、多くの日本の教科書も、朴殷植著『朝鮮独立運動の血史』に掲載された数値を書いています。この本は当時上海に亡命していた朴殷植が反日プロパガンダのために出版した本です。彼自身も「今回の独立運動は日本の厳密な秘匿のため、運動の詳細、確実な実態調査を得る事は難しい。いわんや海外にあって、ただ新聞報道や個人の伝聞的報告によるものだけであって見ればその事実調査の困難性は、推して知るべきであろう」と書いています。この数値と日本の総督府が面(村)毎月ごとに集計した数値のどちらが信頼できますか。下記に両者の比較表を掲載します。
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参加者
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死者
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負傷者
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朴殷植
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203万人
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7509人
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15961人
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朝鮮総督府
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106万人
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553人
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1409人
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憲兵・警察官
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8人
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158人
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<質問>
この3.1独立運動で日本が最も非難されるのが、京畿道水原郡の堤岩里教会における放火・虐殺事件です。 「罪のない住人を教会に集め、閉じこめて火を付け、30人余りを虐殺した。その中には子供を抱いた婦人もおり、この子だけは助けて下さいと叫んだが、日本兵は無視して子供まで刺し殺した」と非難されています。こんな酷いことをしたのですか?
<回答>
この事件を考えるときには、この事件が発生するまでのこの地方の情勢を知らなければなりません。
まず3月28日沙江の警察官駐在所が襲われ、巡査部長が殺害されました。又日本人家屋が放火され、類焼した家屋を含め、10戸が焼失しました。
翌29日には別の駐在所、面事務所、郵便所、内地人家屋11戸が襲われ、戸障子、器物が破壊されました。このような事が連日続き、それに対する警察の取り調べも又、日ごとに厳しくなっていたのです。
4月13日有田中尉がこの地区に派遣されました。彼はこの騒動の根元が、堤岩里の天道教徒・キリスト教徒にあることを聞き、その取り調べに部下11人、巡査2人を連れ堤岩里に向かいました。
彼らを教会に集め、取り調べを始めた時、一人が逃亡しようとしたので、それを阻止しようとしたところ、他の人達が木ぎれ、腰掛け等を持って打ちかかってきました。そこで一人を切り捨て、門外に逃れ、殆ど全員を射殺しました。この混乱中隣家より出火し、暴風のため教会に類焼し、20余戸を焼失するに至ったと報告されています。
有田中尉は行き過ぎがあったと厳重な処分を受けています。
前日までの騒擾、警官の2〜3倍の人数が腰掛けなどを持って殴りかかってきたとき、警察側も粗暴になることはある程度やむをえなかったのではないでしょうか。
又この時教会に入ったのは男子だけだった事が、「シャパン・アドバイサー」の京城特派員のレポートから確認されています。
<質問>
「3.1独立運動のジャンヌ・ダルク」として、日本の多くの教科書に写真入りで紹介されている柳寛順とはどんな人ですか。
<回答>
天安の近くの並川市場の暴動で、先頭に立ったと言われる梨花学園の女生徒です。日本の厳しい拷問にも屈せず、獄死したと言われています。尚殆どの人は厳しい取り調べに反省の意を表し、釈放されています。
『朝鮮独立運動の血史』に彼女の写真は掲載されていますが、これは訳者の姜徳相氏が挿入したものだと、姜氏自身が凡例に断っています。又姜徳相氏の『朝鮮独立運動の群像』には「何故か柳寛順の実証的伝記や年譜などは見ることが出来ない。既刊の伝記類は独立運動の神話時代を反映してか、史実かどうか疑わしい点も少なくない」と書いてあります。
梨花学園からは2人犠牲者を出していますので、そのような人がいたのだろうと思いますが、姜徳相氏の記事にも見られるように、他へどれほど影響与えたのか疑問です。単なる過激派の1女学生に過ぎません。そのような人を韓国の教科書ならいざ知らず、日本の教科書で貴重な紙面をさいて紹介する必要があるのでしょうか。彼女よりもっともっと紹介しなければならない人が、一杯いると思います。
<質問>
それでは、何故このような事件が起きたのですか。
<回答>
まず第一の理由は前記の通り、キリスト教徒が、ウィルソンの民族自決を信じたからです。その点この民族自決運動を煽ったアメリカ人宣教師の責任は重いです。彼らは民族自決を煽ることにより、民衆の支持を得たのです。
第二は一進会の恨みです。一進会は日露戦争当時から日本のために命を懸けて働き、合邦請願書を出し、韓国併合の端緒を作った団体です。しかし一旦併合がなると、他の政治勢力と共に解散を命じられ、一切の政治的発言を禁じられました。更に彼らが希望し、一時内諾を受けていたと言われる、300万円程度の補助金で、満州の間島に新天地を築く夢も画に書いた餅に終わったのです。
彼らの失望と怒りは大変なものであったと思われます。一進会の会員は元来天道教の教徒であり、日本への対応を巡り、第三代教主孫秉煕と袂を分かったのです。この日本の仕打ちにより、彼らは本来の教主孫秉煕のもとに戻り、三・一独立運動の主力となったと思われます。又彼らは東学党の乱以来の歴戦の勇士です。彼らが加わることにより、この三・一独立運動は、苛烈なものとなったのではないでしょうか。
『子爵斉藤実伝』によると容疑者19525人中キリスト教徒3328人、天道教・侍天教信者2297人で、他は無宗教・不詳となっていることからも、この両宗教が主力だったことが分かります。
三番目の理由は土地調査等により、日本人に農地を奪われた農民の怒りであす。全錫淡によれば、土地調査により駅屯土が国有地に編入された為、33万人の農民が農地を失ったと言われます。これらの農民が立ち上がった事は当然でしょう。
<質問>
では、この裁判の結果はどうだったのですか。
<回答>
驚くべき事に主犯とされた孫秉煕、崔麟等八人が僅かに懲役三年、崔南善等六人が二年六ヶ月で、有罪となったのは37人に過ぎません。これは全体としての内乱罪の適用が高等法院で却下され、保安法及び出版法違反と言う微罪となったためです。
中でも崔麟は刑半ばで仮釈放され、アイルランドを視察させる等話し合いを行い、親日派の論客に育て上げています。このように親日派の論客となった人は、二年六月の刑を受けた崔南善、独立宣言の起草者、李光洙、105人事件(寺内総督暗殺未遂事件)の主犯とされた尹致昊等がいます。彼らの活躍で、戦前日鮮一体が大いに盛り上がったのです。
<質問>
この裁判の結果を見ると、世界一苛酷どころか、世界一寛大な判決のように思えますが。
<回答>
姜徳相氏は、死刑はなかったが、その場で射殺された例が多かったと言っています。その例として平安道の孟安で100人の天道教徒がデモを行ったとき、日本軍は一斉射撃をし、67人射殺されました。即時の死刑であったと言っています。
当時は前述の水原の例に見られるように警察、面役場、学校、民家の焼き討ちが多かった時です。そのような例もあったでしょう。しかし全朝鮮での死者は朴殷植の主張する数で、7509人、総督府の発表で553人に過ぎません。
韓国では済州島のパルチザン活動の弾圧がすさまじいです。人口20〜30万人の島で、1948から8年の間に5万人〜8万人の住民が虐殺されたと言われています。この事件は南朝鮮の単独選挙に反対する南朝鮮労働党の指導のもとに引き起こされたものです。
この鎮圧を命じられた麗水の連隊は、反乱軍に転じました。この動きは順天市他各地に波及した。彼らは「北朝鮮との一体化」を主張し、「人民共和国万歳」を叫んだのです。至る所で人民裁判が行われ、反動分子の粛正、北朝鮮から逃れてきた人の虐殺が始まりました。と同時に政府による粛軍が始まり、麗水・順天事件の責任者として89人が直ちに銃殺されたのを始め、軍の一割8000人が粛正されました。逃れた反乱軍は智異山に立てこもり、抵抗を続けました。この粛軍に便乗し、李承晩は反対勢力を粛正し、地歩を固めたのです。
朝鮮戦争中には慶尚南道居昌郡一帯でゲリラの疑いで1500人射殺されたのを始め、全部で8000人の良民が殺されたと言われています。
1960年の李承晩退陣要求デモでは、デモ隊に発砲し、183人の学生と市民が殺され、負傷者は6000人を超えました。又1980年の金大中逮捕に反対する光州事件では、武力鎮圧により一日で死者189人・負傷者380人を出しています。この時の死者は2000人を超えるとも言われています。平成八年この時の弾圧の責任を問われ、全斗煥元大統領は死刑、廬泰愚元大統領は無期懲役の刑に処せられましたが、金大中大統領の恩赦により釈放されました。
これらの政府軍の対策が本当に日本軍より寛大だったと言えるのでしょうか。
同時代に起きたインドのアムリツァールの虐殺事件、ベトナムにおける民族独立運動の弾圧等を見ると、日本の統治は世界一残酷どころか、世界一穏和な統治だったと感じます。
(杉本幹夫/自由主義史観研究会理事)
●もっと詳しく知りたい人への推薦図書
・『植民地朝鮮の研究』杉本幹夫/展転社
・『英親王李垠伝』李王垠伝記刊行会編/共栄書房
・『韓国近代史』鄭在貞
・『独立運動血史』朴殷植/平凡社東洋文庫
・『韓国から見た日本近代史』姜東鎮/青木書店
・『万歳事件を知っていますか?』木原悦子/平凡社
・外務省外交資料館所蔵一件書類「大正八年六月八日付け“機密公第18号“」
・『ガンジーをめぐる青年群像』内藤雅雄/三省堂
・『新しいインド近代史』スミット・サルカール、長崎他訳/研文出版
・『子爵斉藤実伝』/斉藤子爵記念会編集発行
・『朝鮮独立騒擾史論』青柳綱太郎/朝鮮研究会大正10年発行、龍溪書舎復刻
・『物語ヴェトナムの歴史』小倉貞男/中公新書
・『朝鮮戦争の謎と真実』トルクノフ、下斗米伸夫・金成浩訳/草思社
・『朝鮮現代史の岐路』李景/平凡社選書
・『韓国現代史』林 建彦/至誠堂
・『光州事件で読む現代韓国』真鍋祐子/平凡社
・『韓国・北朝鮮 そこが知りたい』佐藤勝己他/亜紀書房
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