こんにちは。君がわたしにもし偶然、道でであったとしたら、「うざそうなオヤジだな。」と思うかもしれません。でもこの本のタイトルを見て、手にとって、ここまで読んでくれたことで、君と僕は本の中でであえた訳です。ありがとう。この本は教科書ではありませんから、ここで本を棚に戻しても、捨てても、君の自由です。私はただの中年会社員。私には君と同じくらいの歳の子供が3人います。君が日常感じている、むかつく気持ちや、自分のことしか考えていない大人への怒り、つまらない学校のことなどは、少しはわかっているつもりです。僕は海外勤務が長く、日本社会の良いところ、悪いところは少なくとも普通の学校の先生よりは見えているのではないかと思っています。そういえばこんな僕も昔は、同じようにむかついていたものです。
最近我が家で面白い事件が起こりました。僕の長男は17歳、いわゆるスケボー少年で、髪は金髪、メタリックなベルトやブレスレットを着け、破れたジーパンをはいています。さてこの破れたジーパンなのですが、僕はこれを使い古したいらないジーパンと不覚にも勘違いして、捨ててしまったのです。これに怒った長男、それは破れているのではなく、はじめからカットしてあるのを買ってきたのだと言うではありませんか。何も知らない中年のお父さんは唖然としました。「なんでわざわざ。」でも大事にしていたジーパンをいきなり親に理由もなく捨てられたのですから、怒るのは当然。とにかく弁償する羽目になり、現代ファッションの高い勉強代となりました。
この我が家の事件は僕にひとつの教訓を残しました。僕が若い時に常識として覚えたことは必ずしも今の常識ではないということ。逆に君のほうで常識として普通にしていることが今の大人に全く理解されていないと言うことです。一般にこれは世代間ギャップとよばれていますが、僕はこれはいつの時代でもあったことで特に問題ではないと思っています。
大切なのはコミュニケーション。これさえあれば世代間ギャップは乗り越えられると思っています。問題は今の大人達の目立つ態度と行動が君達が模範とするべきものとは程遠く、勝手なことを言う大人が多すぎることなのではないでしょうか。君がショッピングに行く時、店先に並んでいる商品がださいものばかりだったら、何も買わずに通り過ぎてしまうでしょう。君のまわりにはダサい大人がたくさんいます。でもそうでない人、立派な尊敬できる人間もすくなからずいるのです。いわゆる凄い奴というのはティーンエージャーの君達の中にもいて、きっと、その人達はださい大人よりもよっぽど立派な人間です。「大人だからといって威張るな!」というわけです。
意見は違ってもいい。ウザくてもお父さんと話をしよう。
これはティーンエイジャーの息子2人をもつある僕から君へのお願いでもあります。夜遅く帰ってきて、週末は遅くまで寝ているお父さんは君にとってかなりうざい存在かもしれません。「父親不在」は海外でも不評を買っています。目があうとすぐに「勉強してるか?」「学校はどうだ?」と聞いてきます。「うるせーな」「ほっといて」というのが君の実感でしょう。でもお父さんは疲れているのです。職場に行けばうざい上司と信頼できない部下、無理難題を押し付けるお客さん等と一日のほとんどを仕事場で過ごさなければなりません。帰ってくれば「ああー疲れた」というのがほんとうのところでしょう。で、そこに君がいる。話の切り出しに「学校はどうだ?」と聞いてみるのです。
これはある意味で挨拶なので無視しましょう。そこから何か会話が始まればと思っているのですが、これが理解されずに「うっせーな」などといわれては疲労が倍増してしまいます。でも君のお父さんも世界第2位にリッチな国、日本の4兆ドルの国内総生産を支える、働く戦士の一人なのです。日本には資源がありません。世界の人よりたくさん働いてはじめてリッチな世界第2位になれるのです。遅く帰ってくるのは仕方がないのです。君はお父さんと意見が全く合わないかもしれません。でも友達と違って、君には父母兄弟は選べないし、君が自立するまでは同居するのですから、せめて土日には家族で食事をしたりして意思の疎通をはかりましょう。君のお父さんが君くらいの時、きっと「いらいら」していた時期があったと思います。お父さんに「学校どうだった?」と逆に聞いてみましょう。
君は友人関係で悩んでいませんか。
さてここまで一気に読んでくれた君。ありがとう。この次の章ではどうして自分勝手な人たちがはびこって、どんな人たちが君のほんとうの自由を奪ってきたのかを考察してみましょう。そのまえに、ここで君が普段、うざいと思っている自分勝手な大人たちや彼らに染まってしまった同世代の人たち、この人たちとどうやって付き合ったらよいかを探ってみましょう。まず「全員と仲良く付き合う必要は全くない」という発想から気持ちを楽にしてみましょう。人間関係に悩むのが若い人たちの常です。学校の教師は「みんなと仲良く」と口癖のように言うでしょう。
でもよく考えて見ましょう。「好き」「嫌い」というのは人間の最も基本的な選択の権利なのです。きみにはなんとなく好きな色、嫌いな花、等があるでしょう。他人にもなんとなく嫌いな色や、好きな花があるのです。努力しても、どうしても好きになれない人がいるのは自然なことなのです。それを無理やり付き合おうとしたり、相手が敵意をもっているのに好かれようとしたりするから、人間関係で悩んでしまうのです。出会いのチャンスを広げることは大切だと思いますが、「みんなと仲良くする」、とか「みんなからから好かれようとする努力」は君に余計なプレッシャーえてしまうだけなのです。相手が全く違う人格だということを認めた上で、深く付き合う人を選択し、誰が「友」で誰が「普通」、そして誰が「敵」なのかを見極めるのも大切だと思います。もちろん嫌いだからといって、嫌がらせをする権利は誰にもありません。しかし、どの人と「気が合う」、「尊敬できる」とか「一緒にいて居心地がよい」というのは君自身が決めることで、人に強制されることではありません。まして電車の痴漢おやじのように、「危害や損害を与える」と君自身が判断した人達と「仲良く」する必要は全くないのです。
君には親兄弟を選ぶことはできませんが、友達や尊敬する人は選ぶことができます。君と「気の合う仲間」や君が「尊敬できる大人」は必ずると思います。君には何か「本当に好きなこと」があるでしょうか。それは得意な学科、音楽、スポーツ、オートバイかも知れないし、スケボーでもいいのです。何か本当に好きなことができると、そこから、「気の合う仲間」や 「尊敬できる大人」の輪が広がってゆくものです。ただ一つ残念なのは最近は機械や目に見えない相手と対戦するゲーム等に多くの時間を割き、熱中するあまり、「気の合う仲間」がいない人がいることです。生身の人間と語り合える「本当に好きなこと」にめぐりあえれば、君の人脈はもっと広がると思います。
この本で、何故世間の大人がださいやつだらけなのかを考え、君はこのままでいいのか。何が心のささえとなるのかなどを君が僕と一緒に考えてくれたら幸いです。これは僕という普通の社会人から君に送るメセージです。僕も君達と同じような教育をうけてきました。学校がつまらない、先生が尊敬できないと思っているのは君だけではないし、君のせいではありません。
第一章 自分のことしか考えていない大人達
よく君が「大人が悪い。」と言うと、お決まりの答えは「人のせいにするな。」。でも、朝の電車の痴漢オヤジやわいせつ教師にそんなことを言う資格があるのでしょうか。さらにやらせ新聞記者、のぞきの大学教授、窃盗事件を起こす警官、検査をごまかす銀行員、不法入国して犯罪を犯す外国人たち、等、新聞を広げればこんな大人にはなりたくないと思うような例でいっぱいです。学校に行けばぶつぶつ何かを棒読みしているような教え方、黒板を写すだけの退屈な授業。教師の中には組合活動に忙しく、自分達の権利ことしか考えていないようなやつらもたくさんいます。
君はきっとそんな自分勝手な教師にうんざりしているでしょう。先生は本当に自分達のことを思ってくれているのでしょうか。卒業したら「はいお次の方」で終わってしまうのではないかと思ったりしませんか。女の子の君は中学の先生が「個室で二人だけで進路相談しよう。」といったらついていきますか。「尊敬される教師になってみろ。」というのが君達の本音でしょう。学校は君達のためにあるのです。公務員教師の天国ではありません。
何故今の大人は堕落しているのか
いまの大人の中にははっきりいって堕落している人たちがたくさんいます。なぜ大人たちはそうなってしまったのでしょうか。ここで学校の先生達が絶対に君達に知られたくない本当の話をしたいと思います。
それは日本がたった一度だけ敗れた戦争、第二次世界大戦と大きく関係しています。今2005年時点で70歳のお年よりは第二次大戦終戦の1945年では10歳だったはずです。日露戦争終戦時1905年に生まれた方は第二次終戦時には40歳、まだ生きておられたとしたら、その方は今100才位でしょう。そのお二人は親子であってもおかしくないはずです。でもこのお二人が育った環境は大きく異なっていました。100歳のお年よりが少年として育った環境は日本がまさに世界のエリート国として飛びたっていった明るい時代、70歳の方が子供だったころ育った環境はアメリカによる爆撃で殺されそうになり、家を焼かれて食べるものもない悲惨な時代だったのです。
第二次大戦が終わった後も物資の不足は暫く続き、70歳のお年よりの多くは子供のころまさにホームレス状態で日本を占領しにきていたアメリカ兵にチョコ−レートをねだったりしていたのです。そういう生活をしている人の中には、心がすさんでしまった人もいるでしょう。このような経験は長い日本の歴史の一こまに過ぎないのですが、この方たちにとっては大きなショックだったでしょう。君がお年よりに戦争の話を聞くと決まって「あの時代は暗かった。」というのはそういう事情があるのです。しかし日本にはそのもっと前に明るい、活気に満ちた時代があったのです。よく「終戦」という言葉を耳にするとおもいますが、日本がたった一回だけ負けた第二次世界大戦終了をさしているのです。実は日本には「終戦」というのは何回もあったのですが「敗戦」はその最後の一回だけでした。
さてこの最後の「終戦後」、短い間でしたが日本はアメリカに占領されてしまいました。占領されているのですから、国の政治が日本人の自由になるはずがありません。戦争で勝利したアメリカも大きな犠牲をはらいました。そこでまず、アメリカが考えたのは日本を二度とアメリカに挑戦できないような弱い国にしてしまうことでした。この考えはその後日本を味方に新たな戦いをしなければいけなくなり、変わっていきます。
しかしこのときアメリカがした教育は「戦前に日本がしていたことはすべて悪かった。」という発想に基づいていました。占領初期、例えば「剣道」も「竹刀競技」などと無理やり名前を変えられたりしました。要するに日本人の昔からの精神を骨抜きにしてしまい、二度とアメリカの脅威にならないように教育を変えてしまったのでした。この教育方針の傷跡はいまでも残っているのです。そして占領中の1947年にアメリカの意のままに今の日本国憲法が発布されたのです。当初の日本人が提案した旧憲法の改正案はことごとくアメリカ占領軍によって却下され、アメリカの憲法とも異なる世界的常識からかけ離れた憲法ができあがりました。(憲法の話はまた後ほどしましょう。)
さてアメリカ一国に占領された日本ですが、世界は終戦後一変し、ソビエト連邦(今の ロシア)を主体とした社会、共産主義陣営とアメリカを主体とした資本主義陣営にわかれての睨み合いとなりました。原子爆弾の時代となったため、ソビエトとアメリカが直接戦うことはありませんでしたが、その他の国の多くの国でソビエトとアメリカが後ろで糸を引いた内戦、暴動が頻発したのです。強力なアメリカ軍によって占領されていた日本は、1952年に再び独立国となりました。当初は日本を骨抜きにする予定だったアメリカですが、そうすることによって日本が共産主義陣営に付け入られてはたまったものではありません。そうなればまた「強い共産主義日本」がアメリカの脅威になるかも知れないからです。そこでアメリカは徐々に「少しだけ強い日本」を容認するようになっていきました。
しかし戦前の日本式の考えはすべてダメと教えられた日本の国民は思想的に迷ってしまい、社会、共産産主義を賛美する若者も沢山現れたのです。この人たちの心のよりどころはソビエトと中国や北朝鮮でした。反対に資本主義を賛美している若者達の心のよりどころはアメリカでした。残念なことに日本古来から日本人が心のよりどころとしていた道徳精神はこのとき、どんなに良いものでも両者から「戦前の思想」というだけで抹殺されそうになっていたのです。この中には「武士道の精神」や 「親を敬い、兄弟や隣人と仲良くするこころ」なども含まれていました。
自分の思想と職場が第一の教師達
特に教育の現場では社会、共産主義を賛美する教師の勢力が強くなり、政治的な意図をもった教師が生徒を自分達の思想に誘導するようになっていきました。この人たちにとってアメリカが当初とっていた「弱い日本づくり」は非常に都合のいいものでした。強力なアメリカ軍は独立後も日本にとどまっていました。そこで彼らはソビエトや中国の力を借りて、侵略してもらうこと、つまり、彼らの言葉でいうところの「開放」に望みをかけました。その人たちのスローガンは決まって「アメリカは出て行け。」「非武装中立」「日の丸、君が代反対」「不戦」「平和な社会」などで言葉としては美しいものばかりですが、実態は日本国民を弱体化し、共産国の軍事力の助けをかりて、自分達が政治的に支配する共産国家(今の北朝鮮や旧東ドイツのような)を作る目的で叫ばれたスローガンでした。
こういったスローガンは君もよく耳にするでしょう。純粋な共産主義は「革命」を目指しており、資本主義の国を武力で制圧することを唄っています。これとアメリカ賛美の勢力がとなえる「人権」「自由」「個人主義」などがごちゃ混ぜになって日本の教育が行われてきたのです。アメリカの「人権」「自由」とは武器をもってアメリカ人が勝ち取ったもので、当然「義務」をともなっていますが、残念ながら今日の日本のそれは初めからある「無限の権利」のように教えられています。この「無限の権利」は「勝手に振舞う権利」となり、君の本当の自由は他人の勝手さによって制限されてしまいます。日本の伝統的な価値観はまさに忘れ去られようとしているかのようにさえ見えます。
このような教育を受けついできた教師たちは今でも君に美しい言葉をささやきます。そして、それにどっぷりと染まってしまった人が、「無気力、無責任、無感動な」、「自分さえ良ければいい」、「君が生まれ育った日本に自信が無い」大人となってしまったのです。
自分の見栄のためだけに我が子を競わせ、自分の子供のことしか頭にない親、「親が悪い」という組合教師、欲望を朝の電車で満たそうとする痴漢オヤジ、外国で自分の国を批判する野党の党首、等。
これが君達の言う、「弱い日本」政策が生み出してきた、「うざい大人」の正体なのです。
拝むものが無くなった先生は欲求不満のかたまり
しかし、先ほどの教師たちや彼らに賛同する大人たちに驚愕の大事件が発生しました。この人達が心のよりどころとしていた天下のソビエト社会主義共和国連邦が1980年代から国家として機能しなくなり、1991年に崩壊、この世界からなくなってしまったのです。共産主義をとっていた東ヨーロッパの国々も次々ともとの普通の国にもどっていきました。これには先生方もさぞかし驚き、落ち込んだことでしょう。まさに「敗戦」です。拝むものが無くなった彼らは欲求不満のかたまりとなりました。
しかし彼らもすぐにはあきらめません。まだ化石のようにのこっている共産主義国家の北朝鮮や共産主義の看板だけは外さずに資本主義に走る中国に異常な親近感をもち、そちらに目を向けたのです。そうでない若い教師達も「弱い日本」の考え方を幼い頃から植付けられているため、君にも「不戦」「平和」「日の丸、君が代反対」「アジアに謝罪」などの言葉を自然な形で君の耳にささやいてきます。でもそうこうしている内に北朝鮮からミサイルが飛んできて日本を飛び越えていったり、不審船があらわれたり、日本人が拉致されたり、また中国の潜水艦が日本の領海に侵入したりで、こころある日本人は「なにかがおかしい。」と思い始めているのです。
学校の教師はズレている
学校にいる君と教師達は生産活動を行う一般社会と隔離された特殊な状況にあります。僕は息子達の学校の先生と話をしてみて、国際情勢の変化と一般社会の常識になんと疎い人たちなのかとおもいました。「これからは国際化の時代です」などとおっしゃるのですが、何か重大な勘違いをされているようです。英語の先生でも実際は英語もへたで、外国人とまともに話ができる方はごく僅かしかいません。僕は海外生活も長いので言わせてもらうと、先生のおっしゃる国際化とは、いわゆる無国籍な人間と社会を作ることを言っておられます。これらの先生方にはまず、英語の勉強をやりなおしてもらわないといけません。
まず国際という日本語訳も何かしっくりとしないところがあります。英語ではインターナショナル。インターは「またがって」とか「間」という意味があり、ナショナルの方は「国家」とか「国民」という意味があり本来、各国独特の文化、国土防衛線である国境、民族があってその違いをお互いに認識しその間を取り持つという意味であって、決して皆が無国籍になることではないのです。そのような国家をまたいだ外国人との接触の中で自分の国、文化、民族としての誇りを持ち合わせていない、「日の丸反対先生」のような人間は世界でばかにされています。外国人との接触は、時には重大な利益の争奪をともなう駆け引きであり、「みんなが仲良く」などといっている場合ではないのです。異民族同士がうまくいかないこともあるのは歴史が証明しています。まず、日本の歴史や文化に強くなり、民族としての誇りを持ち合わせたうえで、外国語を身につけ世界の人と交流する、これが本当の国際化なのです。
美しい言葉に隠された罠
ここで組合教師達が良く使われる言葉を常識的に検証してみましょう。まず不戦。これは敵国が日本を攻撃しても一発も打ち返さないで君がよく学校で聞いた「話し合いで解決」すること。泥棒が我が家に侵入し思う存分略奪しても、子供が襲われても話し合えば解るという発想です。それから「平和」。美しい言葉ですが漠然としています。先生のおっしゃる平和とは先ほどの「話し合いで解決」と「ただひたすら平和を祈願」の2種類。おかしなことに、襲ってくる相手がひるむような防衛対策、実際に撃退した後に訪れる「平和」は含まれていません。ですから「他国の脅威」になる防衛策は一切ダメ。世界では平和とか自由というのは自らの力で勝ち取るものというのが常識なのです。
先生が君に言っているのは平和、平和と祈願すれば泥棒は襲ってこないということです。襲ってくる暴漢ともまともな話し合いをしなければいけないと君は教えられます。親しい国の人達がテロリストに襲われて、武器をもって助けにいってはダメ。先生は「だって憲法にそう書いてあるんだから。」本来の意図が敵国に「侵略」してもらうことにあったのですから、そのような先生にとって、敵国と仲良くすることと、侵略をうけた後の自分の地位が最優先なのです。君が生まれ育ったふるさとや君のことなどはどうでもよいのです。君は日本が降伏したあと、外国軍の兵士としてどこかに出兵するかもしれません。そのときはどこの国の憲法を先生は拝むのでしょうか。日本の憲法はそのときにはなくなっているかもしれないのです。
学校では教えてくれない日本国憲法に隠された秘密
世界を見渡すと憲法というのはその時の必要に応じて何回も書き加えたり、書き換えられたり解釈されたりしています。アメリカの憲法もいくつもの修正条項が加えられていますし、ソビエトの憲法も何回も書き換えられています。イギリスにいたっては、字で書いた憲法そのものは全く存在せず、いくつも在る法律の漠然とした集合体を憲法としています。このように憲法とは世界的な常識からすると国民のためにあるのであって、不自然なところや時代にマッチしないところは書き換えるのが普通です。日本ではどうでしょう。憲法のために人がいるように教えられています。
アメリカ占領軍が作った憲法をまるで拝むように「へーワ」「ゴケン」とお祈りをささげています。君はよく目をこらして、どのような人がそのようなお祈りをささげているのかを観察してみてはどうでしょう。宗教と同じで、信じてしまっている人は目を潤ませながらお祈りをささげています。でも「日の丸反対」先生の目は追い詰められた動物の目をしていませんか。先生が最も恐れているのはいうまでもなく憲法第9条の改正でしょう。なぜなら自衛隊が強力な防衛軍になったら弱い日本が作れなくなってしまうからです。先生は「いったい誰が侵略してくるのか」と言うでしょう。防衛軍というのはまさかのためと、平和を守るために必要なもので、ほうっておけば日本に強盗に入ってきそうな国はすぐ近くにあるでしょう。泥棒さんがこわがるから、家には鍵をかけないといっているのが現在の第9条なのです。
先生は戦争中に必ずおこる場面を取り上げて、「悲惨だ。悲惨だ。」とおっしゃいます。それではオランダに300年も植民地支配されたインドネシアは悲惨ではなかったのでしょうか。確かに戦争はおこってしまえば悲惨です。その戦争がおこらないようにしっかりと防備を固めて、平和を守るというのが全世界の常識なのです。世界的なテロに時代に今の憲法はマッチしているでしょうか。日本が昔オランダの植民地にならなかったのは日本には戦うためによく自己を磨いた武士集団がいて、銃器も十分にあったからではないでしょうか。よく考えてみましょう。
当初日本を弱くするために作られた憲法、それが君達が拝まされている現在の憲法なのです。日本国憲法は公布されてから一度も修正されていない世界最古の憲法といわれています。