特集
戦後日本の驚異的経済成長T
成長の様相


奥田征夫(自由主義史観研究会会員)

Q1:日本は世界第2位の経済大国といわれています。第二次世界大戦で徹底的にアメリカに叩き潰されたが30年も経たないうちに経済大国になり世界を驚かせました。どうやって日本は経済発展を達成したのですか。

Q2:日本は資源小国と聞いています。天然資源は乏しく石油はほとんど全量輸入、鉄鋼原料もそうだと聞いています。資源に乏しい国は世界中に多数ありますが、なぜ日本はこのような悪条件下にありながら経済大国になり、世界中に「ハイテク日本製品」を輸出できるようになったのですか。

Q3:日本は1990年にバブル経済が破裂した後、10余年経済不況に苦しんできましたが、日本産業の底力はまだまだ強いと世界が見ているのではないでしょうか。日本産業の力の源泉はなんでしょうか。150年前、この国は世界に全く知られていない極東の小さな貧しい島国に過ぎなかったのに…。

A:ご質問にお答えします。これら3つの質問は基調において同じ内容を含んでいますので、一緒にしてご説明いたします。但し、物事は整理してお話した方が理解しやすいので、内容をいくつかの項目にまとめて以下ご説明いたします。

先ず最初にQ1に述べられている「第二次世界大戦で徹底的にアメリカに叩き潰された」ことから話を始めましょう。

昭和20年(1945年)、日本は大東亜戦争(太平洋戦争ともいいます)でアメリカを中心とする連合国に敗れました。戦争末期にアメリカは国際法を破って無差別空襲で都会を壊滅させ、原爆を2つも落として徹底的に日本を破壊し、非戦闘員であった膨大な数にのぼる普通の日本人までも殺戮しました。日本の都会の大部分はまさに焦土と化してしまい、硝煙いまだくすぶっている中から日本の復興は始まりました。人々は大変な飢えに苦しみました。食べ物が絶対的に不足していました。

現在60歳代前半の多くの日本人には、かすかな記憶が脳裏に焼きついているのではないでしょうか。昭和22年、幼稚園に通っていた私は先生に連れられて近くの野原に一升酒の酒瓶を持っていきました。野原でイナゴやバッタをたくさん捕まえて酒瓶に押し込んで幼稚園に持ち帰ったのです。その日の昼食はイナゴとバッタのから揚げだったことを今でもはっきりと覚えています。それから60年、わが国は暖衣飽食の時代を謳歌しています。焼け野原で空腹に苦しんだときから30年で日本は世界中が瞠目する経済発展を遂げました。


A1:
日本は世界第2位の経済大国、これを具体的にいうと…

経済力とか経済成長という概念は普通GDP(国内総生産)の実質価額で表されます。GDPとは簡単にいえば、1年間に一つの国が国内で生産した付加価値(中間財価額を控除した価額)の合計値です。    

日本のここ数年のGDPは大略500兆円であり、ドルで表示すると約4.5兆ドルです。アメリカは約10兆ドルでダントツの第一位、日本は第2位です。データは少し古いが1999年の世界190余カ国のGDP合計はほぼ30兆ドルでしたので、アメリカおよび日本の2カ国で世界全体のGDPのおおよそ半分を占めています。日本一国の比重は15パーセントの大きさです。なお、G7先進国首脳会議はGroup7の省略ですが、GDPの大きい国第7位(カナダ)までの諸国の集まりとして始まりました。

ここ数年中国の経済成長が目覚しく、上記の数字は既に大きく変動していますが、ドル表示で見たGDP世界第2の日本経済力は当分その地位を保つでしょう。 なお、2000年のアジアGDP統計によると、アセアン (ASEAN) 10カ国に中国、韓国、台湾を加えた13カ国(人口18.4億人)のGDP合計は2.4兆ドル、かたや日本は1.3億人の人口で4.8兆ドルを産出しその額はドル表示で上記13カ国合計の2倍でした。

ところで数字は魔物という見方があり解釈には注意が必要なことはいうまでもありません。それは「内外価格差」です。中国の平均賃金はドル表示で日本の20分の1から30分の1といわれていますが、中国の物価ははるかに安いのです。日中の比較が簡単な肉饅頭1個の値段を見てみますと、北京や上海などの大都会で1元、地方では0.5元(1元は15円〜13円)ほどです。日本ではどうでしょう、150円ほどします。このように個々のモノの価格で換算したその国通貨の「購買力平価」を加味してGDPの実力を計算すると物価高が顕著な日本の地位が下がるのは事実です。また、変動止まることを知らないドルと円の為替相場がドル表示のGDPの大きさを決めます。

しかし、これらの要因を考慮しても日本の製造業は次に述べるように総合技術力で世界の1、2位の力を多くの分野で発揮・維持しており、これを土台にした日本は豊かな経済力で世界の国々と貿易を盛んにし、多くの国々の経済発展に多大な貢献をしています。なお、日本は国際連合の加盟国分担金として一国で国連分担金総額の20%を払っていますし、政府開発援助(ODAと呼ばれる)として1兆円内外の莫大な資金を諸外国への経済支援金として提供してきています。

なお、次の
は2000年の一人あたり国民総所得を示しています:

順 位
1人あたり国民総所得 (USドル)
1
ルクセンブルグ
42,060
2
スイス
38,140
3
日本
35,620
4
ノルウエー
34,530
5
アメリカ
34,100
(資料出典:世界国勢図会2002/03)


A2:日本製造業の発展-品質に優れた日本製品が世界中で好評


多くの国々から成り立っているヨーロッパに行かれたことがある皆さんはご存知かと思いますが、ロンドン、パリ、ベルリン、ローマなどにある目抜き通りの電気機器店を覗いて見ましょう。高級TV、AV機器が購買心をそそるように綺麗に陳列されています。機器のメーカー名を見ると、大半の製品はSONY、 HITACHI、PANASONIC、TOSHIBA、MITSUBISHI、SHARP、SANYO、JVCなどなどです。カメラ店に立ち寄ってみましょう。カネさえあれば買いたい最新鋭デジタル・カメラを始め様々な商品が飾ってあります。それらはCANON、NIKON、ASAHI-PENTAX、KONICA-MINOLTA、KYOCERAなどなどの製品です。アルファベットで書いてあるので分りずらいですが、実はこれらのメーカーは全部日本の会社なのです。街の通りを轟音けたたましく疾駆する大型オートバイ、大半はHONDA、YAMAHA、SUZUKI、KAWASAKIの4大日本メーカーのブランド2輪車です。上記製品のうち生粋のヨーロッパ製はオランダPHILIPS社のTV、AV機器、オートバイのBMW(ドイツ)など数社に過ぎません。

イギリスでは国際競争力を失った自国企業の代替として1980年代、時のサッチャー政権は輸出志向製造業を復活すべく大々的な外資導入政策を実行しました。それに呼応してイギリス現地でTV・AV機器生産を始めた日本企業が上記の8社です。産業革命発祥の地イギリスでは自国企業でTVを生産している会社は消滅してしまいました。イギリス西部のウエールズ地方と北部のスコットランド地方に進出した数十社の日本企業は、そこでハイテク機器を生産し数万人のイギリス人に雇用機会を与え地域の繁栄に多大な貢献をしています。

電気・電子機器は種類が多く製品ごとの統計数字の国際比較は簡単でありませんので、話を他の業種に転じて最近の状況をかいつまんで見てみましょう。次の
表は主要製造業における日本の世界シエアを示しています。日本はどの業種でも1、2位にあります:
     
製 品
生産量の世界的シェア
(数字は%)
備考
第1位
第2位
第3位
粗 鋼
2000年
中国 15
日本 13
米国 12
日本106百万トン
乗用車
2001年
日本 21
ドイツ 14
米国 12
日本810万台
バス・トラック
2001年
米国 40
日本 11
中国 10
日本170万台
工作機械
2000年
日本 24
ドイツ 20
米国 11
 
船舶
2001年
日本 39
韓国 37
中国 5.8
 
産業用ロボット
2000年
日本 52
ドイツ 12
米国 12
 

(資料出典:世界国勢図会 2002/03)

さらに半導体のメーカー順位を見ますと、2001年の資料で世界10位以内に日本メーカーは3社が位置しています。最近韓国、台湾の躍進が顕著ですが、半導体とICを造るために必要なあらゆる種類の製造装置をわが国は全て自前で製造できる技術力を持っています。なお、表にある産業ロボットは人間の形をしたロボットではなく、一本腕の溶接機が主体ですが、日本はロボットで圧倒的な世界シェアを占めていることがお分かりいただけるでしょう。


A3:日本産業の発達-製造業を中心として

   
上記のとおり世界における日本経済の地位を垣間見ましたので、皆さんは現状を数字で概括的に把握理解されたことでしょう。
では、次に「戦後」日本の産業が発展成長した足跡をいくつかの代表的な産業について見てみましょう。
  
1)傾斜生産方式

荒廃した産業を復興発展させるために政府が打ち出した重点産業政策は「傾斜生産方式」と呼ばれています。これは、カネ、モノ、ヒト(資金、資材、労働力)を石炭、鉄鋼、電力、肥料の増産に集中して優先的に投入する政策でした。この政策は「重工業産業政策」となり、日本は昭和30年代直前から「重厚長大」なものつくり国家として発展を始めました。
 
1.鉄鋼業  
明治時代から殖産興業、富国強兵の旗印のもと、政府は鉄鋼業の発展に腐心してきました。21世紀の現在、わが国は年間粗鋼生産1億トンをあげ中国についで世界第2位の鉄鋼生産国となっています。生産量では人口が日本の10倍もある中国に劣っていますが、新鋭製造設備、高級鋼鈑製造技術では世界をリードする力量を有しており、中国の上海宝山製鉄所も含めて欧米先進国にも技術供与協力を長年実施してきました。

日本近代鉄鋼業は明治30年(1897年)の官営八幡製鉄所(現在の新日本製鐵)の設立に遡ります。資源が乏しい日本で莫大な投資を要する鉄鋼業育成は非常に大きな難問でしたが、官民の協力が実り順調に発達し、昭和10年頃には粗鋼年産350万トンに達し、昭和18年(1943年)には戦争による鉄鋼大増産の号令もあって765万トンの生産記録を出しました。ところが敗戦による破壊は鉄鋼業も例外でなく全国に23基あった溶鉱炉のうち使用できるものはたった3基でした。昭和21年(1946年)の粗鋼生産はなんと年間56万トン。日本鉄鋼業はこのドン底から立ち上がっていきました。

傾斜生産方式の国策に後押しされ、近代的な最新鋭機械装置を欧米から輸入し生産方式の近代化、増産体制確立が推進されていきました。このとき思いがけない出来事が起り、鉄鋼業再建が急速に進んだのです。それは北朝鮮が突如南朝鮮に攻め込み侵略した「朝鮮戦争」の勃発でした。1950年のことです。

この戦争によってひき起こされた朝鮮特需を契機として勢いがついた産業界は、昭和30年代の高度成長時代に驀進を加速しました。

鉄を作るのに必要な鉄鉱石と高強度の石炭が極めて乏しい日本がその大躍進を遂げ昭和45年(1960年)に4,800万トンの粗鋼生産を成し遂げた背景には、あい続いた超大型臨海製鉄所の建設がありました。鉄鉱石などの原料を世界中の産地から専用運搬船で遠く日本までピストン輸送し、海に面した製鉄所で陸揚げし、すぐさま一貫製造ラインに送り込み大量生産する極めて効率のよい低コスト製鉄法を取り入れたのです。この臨海製鉄所の代表は千葉県に立地した君津製鉄所で、工場敷地面積はなんと1,000万平方メートル超(約300万坪)の広大さを誇っています。

世界中から高品質で含有度の高い鉄鉱石を長期契約で安く買い、専用船で産地から直行運搬する、これは原料産地近くに立地した欧米の鉄鋼会社よりはるかに製造コストを低減させました。欧米の鉄鋼業は原料産地保護策のもと、品質、含有量とも劣悪な鉄鉱石を貨車や河川航行船で製鉄所まで運び、積荷の積み替えなどに手間隙かけて少量の原料を陸揚げする運送法でした。日本は大臨海製鉄所建設で欧米よりコスト的にはるかに有利な条件を得たのです。 新日本製鐵は年間粗鋼3200万トンを生産し世界第2位の製鉄会社です。

2.自動車産業

明治40年(1907年)東京自動車製作所によって国産自動車第1号が製造されました。トヨタ自動車工業が設立されたのは昭和12年(1937年)のことです。わが国の自動車産業は100年近くの歴史を持っていますが、産業としては世界的に見て取るに足らない存在が長く続いていました。ところが昭和30年代に始まった高度経済成長とモータリゼーションの波に乗って日本自動車産業は破竹の快進撃を続け、1980年1104万台の自動車を生産し世界の自動車王国アメリカ(同年801万台生産)を追い抜いてしまいました。

次の表は日本の自動車輸出台数の推移を示しています:

   
日本の輸出車台数の推移 (出典:日本自動車年鑑)
乗用車
バス・トラック
合計
1950
7台
5,502台
5,509台
1960
7,013台
31,796台
38,809台
1970
73万台
36万台
109万台
1980
395万台
202万台
597万台
1990
448万台
135万台
583万台
2000
380万台
66万台
446万台

1960年の輸出は合計で4万台にも満たなかったが、1980年にはほぼ600万台を輸出し驚異的な躍進を日本自動車業界は遂げました。

1980年アメリカが日本に追い抜かれたことを契機にして、日米自動車摩擦が政府間の大問題となりました。日本は自主輸出規制策で何とかことを収めようとする一方、アメリカ現地生産を始めたり、加速させたりしました。トヨタは1984年GMと合弁会社NUMMIを設立、欧米で初めて現地生産に踏み切りました。

部品数が2〜3万点もあるといわれる裾野が広い自動車産業の発展は日本経済に多大な恩恵をもたらしました。完成自動車製造会社は日本に11社あり、そのうち8社は乗用車を生産しています。近年の不景気と世界的な自動車業界再編成の波を受けて世界的な合従連衡が続き、外国資本傘下に入った会社も多いのですが、一国でこれだけ多くの自動車製造会社を擁する国は日本以外にはありません。

3.造船業界

日本は戦前から造船に傾注し世界を驚嘆させた「戦艦大和」や「戦艦武蔵」などの優れた軍艦を建造し、また3000もの島々から成る海洋国家に不可欠な各種の船舶を建造していました。こうして培われた技術は戦後も継承され、昭和22年策定された「計画造船要綱」を契機として産業復興が始まりました。それから9年後の昭和31年(1956年)に日本は世界一の造船王国に踊り出たのです。その後日本は例年世界一を保持していましたが、ここ数年韓国と熾烈な競争を繰り広げ1、2位を分け合っている状況です。

造船業発展の背景には、極厚鋼鈑、溶接技術、ブロック建造方式などの新技術開発がありました。この技術を具現化して石油運送タンカーとして昭和41年(1966年)華々しく登場したのが21万トン・タンカー出光丸です。それまでのタンカー建造に関する常識を覆す世界初の20万トンを超す船、長さはなんと342メートルもありました。初航海でクエートに行きましたが、もちろんこの長大な船が接岸できる桟橋はなく沖合いに停泊して石油を積み込みました。幻の超大型タンカーを一目見ようと集まったクエートの人々で桟橋は鈴なりだったそうです。出光丸は、当時の日本の1日の消費量にあたる石油を船一杯に積み込みインド洋を渡り、交通の激しいマラッカ海峡を通過し荒波をものともせずに日本に帰還しました。この大型タンカーの出現には世界中の海運会社がド肝を抜かれましたが、さらに船舶の安全性が実航海で充分に証明されたため、世界中から日本の船舶建造会社に注文が殺到したのです。統計によれば80%近くのタンカーのシェアを日本は確保したそうです。

4.電気・電子機器業界


日本製造業の強みはなんといっても、フル・セット生産体制(欠乏している原材料さえ輸入すれば、一国で部品も含め全ての必要品が生産できる産業構造体制)でしょう。GDPの生産額で最も大きい部門である電気・電子機器製造業界は自動車業界と並んでフル・セット生産を行っている代表的な産業です。この文章の冒頭で紹介したヨーロッパにある電気機器店のことを思い出してください。日本製商品は世界中の主な店の陳列棚を飾っているといっても過言ではありません。しかも日本の産業構造は重厚長大から軽薄短小へ移って久しく、電気・電子機器はまさに日本を牽引するリーディング産業です。

電子機器製造検査用機械関連展示会はいたるところで開かれていますが、アメリカ・カリフォルニアとドイツのミュンヘンで開催される展示会がこの業界では最も有名で人気があります。広大な展示場に何百という企業がブースをかまえ最新鋭の製品を展示し技術力を誇示しています。会場を見て回ると気づきますが、日本企業が何十社も出展しています。電子部品専門メーカーから超高速プリント基板製造装置に至るまで、実に多様な製品をそれぞれ会場に持ち込んでPRに懸命です。同種の機械を展示している日本企業が多いのに驚かされます。

ドイツのミュンヘンで日本の競合会社同士が販売合戦を展開しているのです。私が友人から聞いた実話ですが、イギリスの会社が電子機械購入のためメーカーに見積もり依頼をだしたとき、引き合い先は日本のメーカーが5社、ドイツが1社、オランダのメーカーが1社だったそうです。このような見積もり依頼は異常でもなんでもなく、ごく普通でヨーロッパに現地法人をもっている日本の専門会社数社に必ず引合書を出すそうです。競争社会になれた日本人は、はるか地球の裏側のヨーロッパでも競争し、優秀なモノをより安く顧客に提供し社会に貢献しています。

2004年5月チェコとハンガリーはEUに加盟しましたが、これを見越して数年前にSONYはチェコの東北にある中規模な都会の郊外に年産規模100万台のテレビ工場を建設し、MATSUSHITAはハンガリーの首都ブダペスト近郊の町に同規模のテレビ・AV機器工場を建設しました。共産主義の楔から解き放なされ国内産業育成に躍起となっているチェコやハンガリー政府にとっては、何千人もの人々に仕事を作り出してくれ、しかも輸出志向のハイテク製品生産を目指す日本の会社の現地進出はまさに願ってもないことだったことでしょう。最近発展が目覚しい中国でも自動車や電気・電子機器関連日本企業が目白押しで現地に進出し、工場を建てて多数の従業員を採用し、ハイテク技術のかなりの部分を現地に根付かせ中国の発展に大きく貢献しています。


2)A3のまとめ

  
以上見てきたとおり日本経済は戦後目覚しい経済発展を遂げました。   
ところが1990年にバブル経済が破裂し、その後の景気は一向にさえない状態が長く続いています。平成16年度は実質経済成長率が3%を超すとの見方が有力ですので、長いトンネルの出口がやっと遠くに見えてきた感じがいたします。
 
ここで戦後の経済成長を年代区分で表示します:

年代
年平均経済成長率
 
1955-60
8.8%
 
1961-70
10.1%
 
1971-80
4.4%
 
1981-90
4.0%
1990 バブル経済破裂
1991-2000
1.8%
 


バブル経済とその破裂終焉については別の機会に触れることとし、次のテーマは、1990年までどのような理由・要因で日本の製造業が発展し、経済が拡大成長したのかを分析します。

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