質問1:
昭和12年に日本が中国と戦争をした時に、日本軍が中国の首都の南京で30万人もの中国人を殺したそうですが、本当ですか?
回答1:
全嘘です。
それは南京大虐殺と呼ばれて宣伝されている事件のことですが、最近では研究が進んできて嘘だとわかってきました。
質問2:
どうして日本軍が中国の首都の南京を攻めたのですか?
回答2:
中国軍が上海で戦争をしかけて、日本と戦争になったからです。
中国に上海という都市がありますが、昭和12年(1937年)当時の上海には租界というフランスやイギリスやアメリカが主権を持つ地域がありました。上海にはフランス軍やイギリス軍やアメリカ軍や日本軍も駐留していました。その頃にいくつかの事件があり日本と中国の仲が悪くなってきたので、中国は上海ふきんに兵力を増強しました。日本も上海にいた数万人の日本人を守るために兵力を4,000人に増強しましたが、中国軍は150,000人もの大軍でした。
そしてとうとう中国軍が攻撃を開始し、また中国軍機も上海を爆撃して日本と中国との間で戦争が始まりました。最初のうちは日本軍は苦戦し続けました。なぜなら兵力が少なかったし、中国軍はドイツ軍事顧問団の指導ですっかり戦争の準備を整えていたからです。しかし、日本軍もだんだんと兵力を増強し、苦戦を打開するために杭州湾というところに大軍を上陸させました。すると背後をつかれた上海ふきんの中国軍は退却を始め、日本軍は中国軍を追撃して首都の南京に迫ったのです。
その当時に主に日本軍と戦っていたのは現在の中国を支配している中国共産党の軍隊ではなく、現在は台湾を支配している国民政府の軍隊でした。当時の中国はいくつもの勢力がそれぞれ中国各地を支配していて、その最大の勢力が国民政府軍で、この頃の中国共産党軍はその中でも小さな勢力でした。だからここで中国というのは国民政府のことです。
質問3:
当時の南京の人口はどのくらいだったのでしょうか?
回答3:
日本軍が南京を占領する直前の人口は20万人で、占領後1月で25万人に増えまし
た。
戦場が南京に近づくにつれ、多くの南京市民は避難して市内に残っているのは貧しい難民だけになりました。陥落前の南京には22人の欧米人が残っていて、そのうちの15人が国際委員会という会をつくりました。彼らは南京市内に4平方キロに満たない広さの安全区という地域を設定して、ほとんどの民間人をその地域に収容しました。上海の戦闘でフランス人のジャキーノ神父が安全区を設定して上海市民に戦争被害が及ぶことを阻止できたので、南京の欧米人もその真似をしたのかもしれません。
南京大虐殺があったと主張する人たちは日本軍占領直前の南京の人口は50万人と述べたりしますが、それにはちゃんとした根拠はありません。当時の資料で人口に関するものは約130件ほどありますが、この資料からは占領直前の南京の人口は20万人くらいだったことがはっきりと浮かび上がります。また人口分布に関する当時の資料は50件以上ありますが、この資料からは民間人のほとんど全部が安全区にいたこともわかります。
もちろんこの数字は人口調査をしたものではないので、おおざっぱな数字です。しかし、重要なのは昭和12年12月の日本軍の占領後に人口の減少がないことです。人口の減少は当時の資料にはどこにも記録されていません。逆に日本軍の占領後は、1ヶ月以内に人口が5万人増えています。例えば、当時の国際委員会の外国人たちは難民に食料を配給しようと努力していたので、南京の人口が日本軍の占領前は20万人くらいで占領後に25万人になったという事実をつかんでいて記録しています。国際委員会の人口に関する記述は記録日や記録者が異なったものが三ヶ月間にわたって何回も記録されていますが、この数字は常に一貫しています。
質問4:
虐殺を目撃した人はいるのですか?
回答4:
当時の資料では南京市内で虐殺を見た人はいません。
特に南京大虐殺のように国際政治や思想闘争の焦点になった事件では、何十年後に作られた資料では、記憶違いや後日の情報や政治や思想の影響に左右されたり、または意図的に資料が作られたりします。だから、このような問題ではその当時に記録された資料かどうかがとても大事です。
当時の南京在住の国際委員会の欧米人で虐殺を実際に見た証言はほとんどありません。その欧米人たちはもともと中国側と縁が深く中国人に親しみを持った人たちで、国民政府から依頼されたり、そのエージェントと連絡をとって日本を非難する原因を作るような人たちもいました。そのため彼らは手あたりしだいに日本軍の犯罪を記録し抗議しています。しかし、その彼らも南京大虐殺どころか、日本軍による市民の殺害は見てはいません。見たのはただ2件のみで、その2件とも違法な殺害とはいえないものです。
そのうちの1件はマギー神父が東京裁判で証言した事例です。国際委員会のメンバーのマギー神父は、難民のいる安全区を自由に歩き回っていました。そのマギー神父は東京裁判で南京大虐殺の証人として日本軍の暴虐を延々と訴えます。しかし、その裁判で彼は「実際に見たのですか」と質問されたのです。するとマギー神父が実際に見た殺人は、警備中の日本兵に呼び止められて逃げ出した中国人が撃たれた1件だけでした。
もし、市民に対する虐殺があったとするなら、それは南京市民のほとんど全部がいた安全区の中であったとしか考えられません。しかし、安全区を管理して怪しいできごとはないかと歩いたり車で走り回っていた国際委員会の外国人たちは誰一人として実際には虐殺を見ていないのです。そこで地獄のような大虐殺が本当に何週間も続いていたのなら、大虐殺を見ていないはずはありません。
国際委員会の代表のドイツ人ラーベのように、後に日本軍が数万人を虐殺したと述べた人もいます。彼はドイツ政府へは政治的な主張でそう報告しましたが、イギリス大使館には虐殺は数百人だと、日本大使館には49人の虐殺があったと異なった数の報告をしています。しかし、彼は実際には一件の殺人も目撃してはいません。ラーベもそうですが、国際委員会の欧米人たちはもともと日本に対して悪意を持っていたのかもしれません。
そのため彼らは、強姦だとか盗難だとかと聞いた話を確認もせずに日本軍の犯罪として組織的に集め記録し抗議しています。しかし、たとえその全部が本当だとしても大虐殺の情景とはほど遠いものです。彼らは、クーラーボックスが盗まれたとか、茶碗や皿が盗まれたとか、そういうことまでも日本軍のしわざとして重大事件のように記録し抗議しているような状況です。もちろん民間人の大量殺害に対する記録や抗議はしていません。繰り返しますが、当時の南京の欧米人が記録した約980件の事件の中で伝聞でない殺人は2件だけなのです。
質問5:
日本が戦争に負けた昭和20年(1945年)の南京の様子はどうですか?市民が 大虐殺を口々に訴えたり、日本人に復讐をしたりしたのですか?
回答5:
そういうことはありません。
現在の日本人や中国人と違って、日本が敗戦した当時の南京市民(中国人)も南京に住んでいた日本人も、南京大虐殺があったという認識はほとんど持っていませんでした。戦後かなり後になってから宣伝が盛んになり多くの日本人や中国人が南京大虐殺を信じてしまったのです。
日本が戦争に負けた後で、中国は東京裁判に提出する南京虐殺の証拠を集めるために、南京の日本軍の犯罪を告発するように中国人に呼びかけました。しかし、当時は南京での日本軍による残虐行為を申し出る者は「甚だ少く」、「否認する者」もいて、結局翌年の1月に東京裁判の証拠として提出できた証言は1件だけでした。そのため、裁判中も中国側は証言集めに非常な努力をして11件の証言を裁判に間に合わせて形だけはなんとか作りました。しかし、今日の目で落ちついて見ればそれらは日本軍が南京市内で大虐殺をやったと証明できるような証言でもなく、ちゃんとした検討に耐えうるものでもありません。
日本軍の占領後の南京には一万数千人の日本人がいて中国人に交じって住んでいた人も多かったのですが、当時は南京大虐殺などということを聞いた人はいません。昭和20年の南京には一万人以上の日本人がいて、敗戦のために日本人は中国当局によって市内の一ヶ所に集められそこで半年ほど生活しました。しかし、敗戦後の南京の日本人たちは虐殺の復讐を受けることもなく、中国当局から南京大虐殺ということを聞かされることもありませんでした。彼らが南京大虐殺ということを知ったのは、戦後に日本に帰って、後になって南京大虐殺を宣伝する本やマスコミに接してからです。
南京にあった日本軍の総司令部は中国軍に降伏した後に、一年以上にわたって中国側との連絡や交渉の窓口として南京で活動しましたが、その間に南京大虐殺の問題が中国側からもち出されたり、それによって両者の関係が悪化することはありませんでした。当時の中国の指導者たちは南京大虐殺を本気で主張してはなく、裁判に関してのみのパーフォーマンスととらえていたようです。
また、その司令部の日本軍人の一人は敗戦後の南京市内を毎日散歩していましたが、危害を加えられることなどありませんでした。日本軍の多くの部隊も敗戦後に南京周辺を経由しそこから揚子江を下り日本に向いましたし、南京市内で下水掃除などの労働に従事した日本兵もいます。日本兵は降伏して武器を持っていないので中国人から馬鹿にされることもありましたが、当時は南京大虐殺ということを聞かされたり市内で復讐されることはありませんでした。
質問6:
南京大虐殺の証言の多くは戦後かなり後になって作られたものですか?
回答6:
そのとおりです。
証言は、それが『いつ記録されたものか、本当かどうかの検討ができるか』という2点がとても大事です。日本人の中にも南京大虐殺を目撃したとか虐殺したという証言をした人もいました。しかし、これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されています。例えば、元軍人であれば同じ部隊の人がまだ生きていたりしたので、周囲の人の証言や記録を調査すれば、彼は南京にいなかったとか作り話であるということなどが判明します。
そのため、最近では日本人に関しては匿名の証言が作られるようになりました。また、中国人の証言の多くは中国政府(中国共産党)が南京大虐殺の宣伝に力を入れ始めた以後に作られた(記録された)ものです。しかも、証言はその証人が本物か、証人は実際に当時の南京にいたのか、内容は真実かなどの検討が可能であって初めて意味を持つのです。
みなさんも本や被害者だという人の証言をうのみにするのはやめて、自分が裁判官になったような気持ちで自分の目で証拠(当時の記録)を確実に検討してみてください。そうするといわゆる南京大虐殺は、実体のないものだということがわかります。証言については、その証言がいつ記録されたのかをまず確認しなければなりません。例えば、もしあなたが、匿名やその場にいたかどうかも証明できない人の、しかも事件から何十年後にされた証言だけで、犯罪者とみなされたら納得できるでしょうか。
質問7:
当時の南京では実際にどういうことがあったのですか?
回答7:
戦争で多くの兵士が戦死しました。また、軍服を着ていなかった中国兵の中には逮捕
後に処刑された人もいました。
東京裁判の時に中国側から南京虐殺の最も重要な証拠として埋葬記録が提出されましたが、その記録では女性や子供の遺体は0.3%にすぎません。そして死体の収容場所のほとんどが城外の激戦のあった場所でした。これは死者は兵士の戦死者であって、民間人の被害は少なかったという事実を裏づけてます。
また、中国軍の兵士は戦闘に負けると軍服を民間人の服に着替えて南京市内の安全区に入ったので、日本軍は彼らを逮捕しその一部を処刑しました。これは当時の国際法でも問題ありません。軍人が戦闘地域で軍服を着ないで逮捕されたら捕虜になる権利はなく、処刑されても文句は言えないのです。
なぜなら軍人が軍服を着ずに行動すれば民間人と兵士との区別がつかなくなり、結局は民間人がむやみに殺される結果を招くことになるからです。彼らを逮捕するために日本軍は歩兵第七連隊という部隊が4日間だけ昼間に安全区の捜索をしました。安全区内の捜索は将校の指揮の下にまとまって行なわれ、兵隊や下士官が独自に行動することは許されませんでした。
その他には、南京市の郊外の幕府山というところで捕虜を護送する途中に暴動が起り数多くの捕虜と少数の警備の日本兵が死ぬという事件などもありました。
質問8:
でも、多くの人は南京大虐殺があったと信じているようですが?
回答8:
そのとおりです。
現代の中国人の多くは屠殺記念館や抗日記念館や国定の歴史を学んで、南京で30万人の市民が日本軍に虐殺されたと信じています。また世界の多くの人々もそのように信じています。また、日本人も30万人虐殺はおおげさでもなんらかの虐殺があったと信じている人が多いのです。
しかし、今の日本では研究はかなり進んでいて、当時の南京で民間人の老若男女に対する虐殺があったということは、学問的には証明が不可能になっているといってよいでしょう。当時の写真やフィルムも虐殺を証明するようなものはひとつもありません。虐殺に見えるような写真が数枚ありますが、それらは作られた写真か写真の説明を書き替えているものだということがわかっています。逆に虐殺がなかったことを推測させる写真やフィルムはそれこそ無数といってよいほど数多く残っています。ちゃんと検討された虐殺の証言もありません。
現在では、虐殺を宣伝する人たちは、軍服を民間の服に着替えた中国兵の処刑や、捕虜を護送中の事故などを議論して南京事件があったと主張し、その一方では南京大虐殺を民間人の無差別大量殺害のイメージで宣伝したりします。また、南京大虐殺を上海から南京までという気の遠くなるような空間に広げて虐殺があったと主張する学者もいます。もちろんそれは証明したり検討したりできるようなきちんとした話ではありません。
また、虐殺がなかったという状況証拠に反論するだけの研究者もいます。それにもかかわらず、南京大虐殺があったと主張する人たちの多くは、ナチスのユダヤ人虐殺と並ぶようなものとして南京大虐殺を宣伝しようとしています。そして残念ながら現在のところその宣伝は成功しているのです。
●もっと詳しく知りたい人への推薦図書等
・『「南京虐殺」の徹底検証』東中野修道/展転社
・『「ザ・レイプ・オブ・南京」の研究』藤岡信勝・東中野修道/祥伝社
・『「南京虐殺」への大疑問』松村俊夫/展転社
・『再審「南京大虐殺」』竹本忠雄・大原康雄/明成社
・『南京「虐殺」研究の最前線』東中野修道/展転社
・『南京事件の総括-虐殺否定の論拠』田中正明/展転社
・『「南京事件」日本人48人の証言』/阿羅健一/小学館文庫
・『「南京事件」の探求』北村稔/文春新書
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