特集
アジアにおける日本と大東亜戦争
インドネシア編


 日本は本当にアジア諸国に嫌われているのか?

飯島瑞穂(自由主義史観研究会会員)

こんな歌を知っていますか?インドネシアで50年間歌い継がれてきた「祖国防衛義勇軍(PETA=ペタ)マーチ」です。

“アジア、すでに敵に向かい、蜂起せり 己を捨てて全力を尽くす
連合国を粉砕せんと 玉散ることもいとわず
進め 進め 義勇軍 アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ
古きアジア 不幸に苦しむ 烈しき圧制に 幾世紀も忍ぶ
大日本 雄々しく立てり アジアを救い 我らを守る
進め 進め 義勇軍 アジアとインドネシアの英雄 清き東洋に幸あれ…”

だ…大日本?!なんだか、聞いてるこちらがこそばゆくなってしまうような歌詞ですが、これはいったいどういうことでしょうか?

じつは350年間の長きにわたって、オランダの植民地にされてきたインドネシアが独立を勝ち取ったのは、昭和17年(1942)3月の日本軍進攻がきっかけでした。350年間の過酷で計算されつくした植民地政策によって、有色人種であるアジア人は白人の支配を脱することは不可能だと思いこまされていました。しかしそこに白人よりも小さな身体の日本人が突然やってきたかと思うと、なんとたった9日間の戦闘でオランダ軍は全面降伏してしまったのです。自分達と肌や髪の色の同じ小柄な日本人が、絶対にかなうはずもないと思っていた白人をあっという間にやっつけてしまったのです。この様子を目の前で見たインドネシアの人々は、そうだ!自分達もやればできるんだという勇気を持ったのでした。現地の人々に大歓迎された日本軍は、オランダによって流刑されていたインドネシア独立運動の指導者スカルノとハッタを獄中から救出し、日本軍への協力を求めました。こうして昭和20年8月に日本が敗戦するまでの3年半、オランダ時代とはまったく違う軍政が実施されました。詳しくは後に掲げる参考文献にあたってほしいのですが、ここではインドネシアの中学3年用の歴史教科書から引用してみましょう。

「日本の占領は、後に大きな影響を及ぼすような利点を残した。第一に、オランダ語と英語が禁止されたので、インドネシア語が成長し、使用が広まった。日本軍政の3年半に培われたインドネシア語は驚異的発展をとげた。第二に、日本は青年達に軍事教練を課して、竹槍、木銃によるものだったとはいえ、きびしい規律を教え込み、勇敢に戦うことや耐え忍ぶことを訓練した。第三に、職場からオランダ人がすべていなくなり、日本はインドネシア人に高い地位を与えて、われわれに高い能力や大きい責任を要求する、重要な仕事をまかせた。…」わたしたち日本人にはまったく教えられていませんが、インドネシアの子供達はこういうふうに、このあいだの戦争について習っているのです。ちょっと驚きですね。

しかし独立を約束した日本が連合国に敗れたとたん、またもやイギリス軍、ついでオランダ軍がインドネシアを再占領するために戻ってきたのです。ところがインドネシアの人々はもう以前のインドネシア人ではありませんでした。自分達の力で独立を目指して戦う勇敢な戦士となっていたのです。そしてスカルノとハッタは連合軍が来る前に、昭和20年(1945)8月17日午前10時、多くの民衆の見守るなか、独立宣言文を読み上げたのでした。ちなみにこの宣言文の日付けは「17-8-‘05」と記されています。「’05」とは、これまた誰も知らないでしょうが、「皇紀」または「神武紀元」といって日本が使っていた暦に基づいています。西暦(西洋の暦)はキリストの誕生を元年としますが、「皇紀」は初代の神武天皇の即位の日を元年としています。どちらも神話、伝説上のことですから、正確であるわけはないのですが、「皇紀」によると昭和20年は「2605年」にあたります。その下2ケタをとって「‘05」。なんて聞くとまたまた驚きですが、今もジャカルタのスカルノ、ハッタ記念公園(独立宣言広場)に行けば、この宣言文がレリーフになってスカルノとハッタの銅像のまんなかにあるので誰でも見られます。さあ、そのとき、なあんにも知らなかったら赤っ恥でしたねえ。ハネムーンやサーフィンで大人気のバリ島ではなんと!いまでも「皇紀」カレンダーが売っているそうです。“ほんとはこの国のこと、よく知らなかった”とかのんびりしたこと言ってる場合ではありませんね。

さて話を戻しますが、独立を目指すインドネシアにとっては日本敗戦後のこれからが死闘でした。日本軍による3年半の軍事訓練を受けたとはいえ、近代的兵器で武装したイギリス、オランダなどの連合軍にそう簡単に勝てるわけがありません。敗れた日本軍の兵士たちはこの状況を見て、独立を約束しながら果たせなかったという責任感もあったでしょう。多くの人が現地に残り、インドネシアの民衆の先頭に立って戦い、その半数以上が彼の地の土となりました。このインドネシア独立戦争は連合国を相手に4年間も続き、死者80万人という犠牲を払いました。そして命を捧げた日本兵はインドネシア独立の英雄として、ジャカルタ郊外のカリバタにある国立英雄墓地に丁重に祀られています。

こうした歴史的事実からインドネシアの独立記念日では、インドネシアの服装の男女2名になんと!日本兵の服装をした1名を加えて3名で、国旗を掲揚します。もちろんこれは独立を支援した日本軍に敬意と感謝を表しているのですが、こんなことは日本では全く知られていませんね。

そして戦後賠償の問題でも、交渉にあたった国会議長のアルジ=カルタウイナタ氏は日本軍が創設した祖国防衛義勇軍(PETA)の大団長だった人なので、日本軍がインドネシア独立のためにいかに努力したかを肌身にしみて知っていました。そこで彼は岸信介首相に対して「独立のお祝いというつもりで賠償金をください。日本が悪いことをしたから賠償しろというのではありません。」と言っていますし、当時のインドネシアでは「むしろ日本に感謝使節団を送るべきだ」という声もあがっていたといいます。 さて、もうこれで冒頭の歌が半世紀にわたって歌われているという理由は分かっていただけたと思います。今もしもあなたに、ちょっと照れくさいような笑みが浮かんでいたら、それが「誇り」というものかもしれません。


●もっと詳しく知りたい人への推薦図書等

・『世界から見た大東亜戦争』名越二荒之助編/展転社
・『アジアに生きる大東亜戦争』ASEANセンター編/展転社
・『南の祖国に生きて-インドネシア残留日本兵の現在』上坂冬子/文芸春秋
・ビデオ『独立アジアの光-東南アジアの歴史と現代』

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