特集
ベトナム独立宣言文

質問1:
ベトナム独立宣言文の中に、「日本軍が北ベトナムに進駐したことにより、200万人の餓死者を出した」と日本を非難しています。そのような事実があったのですか?

回答1:
正確な文面は確認していませんが、1945年のベトナムの独立宣言に、「200万人の人が日本軍の米の強制購入で餓死した」と書かれていたと承知しています。
我々は、このケースについて考えるためにはその頃のインドシナの状況を知らなければなりません。

1940年に、フランスはドイツによって攻撃されました、そして、パリは陥落し、ドイツへ好意的な政府がビッシーに設立されました。それに伴いインドシナはフランスのビッシー政府の支配下に入りました。

大東亜戦争勃発の前、1941年に日本軍はフランスの合意の下にインドシナに進駐しました。今日の日本とアメリカの関係と同じように、フランスが行政権を持っていました。

連合軍は1944年 8月に反攻し、パリを取り戻しました。日本はインドシナ政府の意向を懸念し、インドシナへの兵力増強をおこないました。それに伴い北ベトナムの日本軍も増強されました。

1945年には、日本は1個師団に加え、3個師団をインドシナへ送りました。日本はベトナム南部には3個師団を配置し、北部には1個師団を配置しました。日本は3月9日にクーデターを引き起こして、インドシナの行政権をフランスから奪いました。さらに、4月30日にはヒトラーが自殺しました。

一方、南シナ海の反対側、フィリピンでは、米軍が1944年10月にレイテ島に上陸し、1945年1月にはルソン島に上陸しました。 これにより米軍はインドシナ爆撃を行い、北部と南部をつなぐ鉄道を破壊しました。船舶の損害は増加し、インドシナの南北の輸送路は破壊されました。

問題は1944年秋の台風や洪水のため、北部ベトナムの米が不作となったことです。不幸なことに北部より米作が豊かな南部からの輸送路が、米軍により完全に破壊されてしまったのです。フランス支配下のインドシナ政府は打つ手がありませんでした。尚当時はフランス本国は連合軍の支配下に入りましたが、インドシナ政府はビッシー政権により任命された人達がそのまま統治していたのです。

我々は200万人の死者が真実か否かは分かりません。しかし日本軍が配置したのは一個師団、約2万5千人です。2万5千人増加した為、200万人の人々が餓死するということはありません。200万人の餓死者は台風や洪水、米軍の交通手段の破壊によるものです。



質問2:

東南アジア諸国では、独立軍はすべて日本軍に指導・養成されたのではないのですか?

回答2:
ベトナムにおける独立軍は1945年初めまで、日本・フランス連合軍の敵でした。それゆえに日本が降伏した1945年8月以降に日本軍がベトナム独立を援助したという話は聞いてはいません。



質問3:

ベトナムへの戦後補償はどの様になっているのでしょうか?

回答3:
ベトナムへの補償協定は、1954年に南ベトナム政府がベトナムの全土を代表する形で日本政府の間で締結されました。 日本は1973年には北ベトナムとも国交回復しました。

さらに、1978年、北ベトナムは日本が南ベトナムに貸した155億円の負債を引き継ぎました。一方、日本はこの負債をキャンセルする160億円を無償援助し、更にローンの形で200億円の資金援助をおこなったのです。

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